リステシュ・クリスティアーン
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Lisztes Krisztián | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ハンガリー | |||||
生年月日 | 1976年7月2日(48歳) | |||||
出身地 | ブダペスト | |||||
身長 | 179cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1996 | フェレンツヴァーロシュ | 80 | (19) | |||
1996-2001 | シュトゥットガルト | 109 | (12) | |||
2001-2005 | ヴェルダー・ブレーメン | 92 | (8) | |||
2005-2006 | ボルシアMG | 5 | (0) | |||
2008 | フェレンツヴァーロシュ | 11 | (0) | |||
2008 | ラーコシュパロタイ | 14 | (4) | |||
2009 | ハンザ・ロストック | 13 | (1) | |||
2009-2011 | パクシ | 29 | (2) | |||
2011 | ヴァシャシュ | 14 | (1) | |||
2011-2012 | フェレンツヴァーロシュ | 19 | (1) | |||
2012 | セゲド2011 | 13 | (5) | |||
2013-2015 | ショロクシャール | 56 | (15) | |||
代表歴 | ||||||
1996-1997 | ハンガリー U-21 | 2 | (0) | |||
1994-2004 | ハンガリー | 49 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
リステシュ・クリスティアーン(ハンガリー語:Lisztes Krisztián、1976年7月2日 -)は、ハンガリーの元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(攻撃的MF)。
経歴
[編集]リステシュはフェレンツヴァーロシュTCの下部組織でサッカーを学び、1993年にトップチームへ昇格を果たした。ハンガリー国内のスター選手であったデーターリ・ラヨシュの後継者としてレギュラーに定着すると、1995年のUEFAチャンピオンズリーグ本大会進出に貢献した。この記録は大会がチャンピオンズリーグと改組されて以来、予選を突破した最初のハンガリーのクラブとなった。クラブはグループリーグで敗退したが、スイスのグラスホッパー・チューリッヒ戦で3-0で勝利を収めるなど勝ち点5を挙げた。
国際舞台における活躍は幾つかのビッグクラブの関心を集め、1996年にドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトへ移籍した。シュトゥットガルトでは、1997年のDFBポカール優勝や翌1998年のUEFAカップウィナーズカップ準優勝を経験したが、同じポジションにはブルガリアのクラシミール・バラコフがレギュラーを務めており、リステシュは控えに回ることが多かった。
2001年からは同じドイツのヴェルダー・ブレーメンへ移籍するとレギュラーに定着し、2004年にはリーグとカップの二冠に貢献した。しかし、同年に怪我を負うと、この影響もあって体調を完全に取り戻すことが難しくなり、2005年にボルシア・メンヒェングラットバッハへ移籍した。ボルシアMGでは怪我の影響によりリーグ戦5試合に出場するに留まった。
2008年2月に古巣のフェレンツヴァーロシュTCへ復帰をしたが、その2、3ヶ月後にラーコシュパロタイEACへ移籍。同年8月3日にハンガリーリーグで12年ぶりとなる得点を決めた。2009年6月にパクシSEと契約。2011年にフェレンツヴァーロシュTCへ3度目の復帰を果たした。
ハンガリー代表としては、1994年に代表デビューを飾り、2004年に退くまで国際Aマッチ49試合に出場し9得点を記録した。またハンガリー五輪代表として1996年のアトランタオリンピックにも出場した。
タイトル
[編集]- ハンガリー年間最優秀選手賞 : 1回 (2002)
外部リンク
[編集]- spieler profil - weltfussball.de
- Lisztes Krisztian meg mindig csapatot keres