リス・ゲメル
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基本情報 | ||||
フルネーム | Rice Thomas Hopkins Gemmel | |||
国籍 | オーストラリア | |||
出身地 | 同・ビクトリア州コールフィールド | |||
生年月日 | 1896年 | |||
没年月日 | 不明 | |||
利き手 | 右 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 優勝(1921) | |||
優勝回数 | 1(豪1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 優勝(1921) | |||
優勝回数 | 1(豪1) | |||
リス・ゲメル(Rhys Gemmell, 1896年 - 没年月日不明)は、オーストラリア・ビクトリア州コールフィールド出身の男子テニス選手。1921年の全豪選手権で男子シングルス・男子ダブルスの2部門を制覇した選手である。彼の場合、生年の「1896年生まれ」が分かっているだけで、誕生の日付も没年月日も分からない。全豪オープンテニスの男子シングルス優勝記録表や一般テニス文献では Rhys Gemmell の名前で記載されているが、バド・コリンズの百科事典によれば、彼の正確なフルネームは Rice Thomas Hopkins Gemmel (ライス・トーマス・ホプキンス・ゲメル)だという。
リス・ゲメルは6度ビクトリア州のテニス・チャンピオンになった後、1921年の全豪選手権で男子シングルス・ダブルスの単複2冠を獲得した。当時の全豪選手権は、毎年開催都市を回り持ちしていたが、彼が優勝した場所は西オーストラリア州の州都パースにある「ロイヤル・キングスパーク・テニスクラブ」であった。この大会の男子シングルス決勝で、彼はアルフ・ヘデマンを 7-5, 6-1, 6-4 で破って優勝した。男子ダブルスでは、ゲメルはスタンレー・イートンとペアを組み、決勝でノーマン・ブリアリー&E・ストークス組に 7-5, 6-3, 6-3 で勝った。当時のオーストラリアのトップ選手だったジェラルド・パターソンが西オーストラリア州にあるパースへの長旅を断ったため、1921年の全豪選手権は出場選手層が薄く、盛り上がりが乏しかった。選手権終了後、西オーストラリア・ローンテニス協会会長のW・キングスミルが、もしオーストラリア東部地区の選手がパースへの遠征を断り続けるなら「ゲメルを東側地区の大会に参戦させる」と宣言した。こうした経緯もあり、全豪選手権のパース開催は1921年を最後に取りやめとなり、もう2度とこの地で行われることはなかった。
ゲメルの経歴については、これまでは1921年全豪選手権の単複優勝しか知られていなかった。最近オープンしたグランドスラム大会のデータベースサイト「グランドスラム・テニス・アーカイブ」(Grand Slam Tennis Archive)の「全豪オープン」検索により、彼にはその後も全豪選手権出場記録があり、1922年3回戦・1925年2回戦・1926年3回戦・1927年3回戦進出の成績であったことが判明した。下記参考文献のうち『Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam』(全豪オープン公式出版物)では、1905年-1940年までの記録は準々決勝以後しか載っていないため、1922年以後はベスト8に勝ち残れなかったゲメルの記録を確認できなかった。1927年の3回戦でエドガー・ムーンに 4-6, 11-13, 2-6 で敗れた後、ゲメルは「プロテニス選手」に転向した。その後は消息が途絶え、ライス・トーマス・ホプキンス・ゲメルの死去に関する資料は全く残っていない。
外部リンク
[編集]- 全豪オープン過去資料一覧(英語) Grand Slam Tennis Archive の提供データ。本サイト内には 男子シングルス優勝者 の資料も揃っており、1921年 優勝者のゲメルについては「1970年代に死去か」と示されている。
参考文献
[編集]- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3 本記事の骨格は、本書の9-10ページを参照した。
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 ゲメルのフルネームが記載されている唯一の資料。
- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1 2名の選手、スタンレー・イートンとノーマン・ブリアリーの名前(フルネーム)が分かる唯一の資料。本書掲載の大会抽選表では、1905年-1940年までの記録は準々決勝以後しか確認できない。