1940年オーストラリア選手権 (テニス)
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1940年 オーストラリア選手権(1940ねんオーストラリアせんしゅけん、1940 Australian Championships)に関する記事。オーストラリア・シドニー市内にある「ホワイトシティ・テニスクラブ」にて開催。
大会の流れ
[編集]- 第2次世界大戦が1939年9月1日に勃発し、戦争の影響で各種のスポーツ競技大会は開催中止となった。全豪選手権は1940年1月の本大会まで実施されたが、戦争のため5年間中断された。
- 1940年の本大会までは、男女シングルスの抽選表にシード選手の正確な順位が残っていない。終戦後再開された1946年から、シード選手が記録されるようになった。
- 初期の全豪選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元オーストラリア人選手の国旗表示を省略する。
シード選手
[編集]男子シングルス
[編集]- ジョン・ブロムウィッチ (ベスト4)
- エイドリアン・クイスト (優勝、4年ぶり2度目)
- ハリー・ホップマン (ベスト8)
- ジャック・クロフォード (準優勝)
- ビビアン・マグラス (ベスト4)
- マックス・ニューカム (ベスト8)
- ビル・シッドウェル (ベスト8)
- ジャック・ハーパー (2回戦)
女子シングルス
[編集]大会経過
[編集]男子シングルス
[編集]準々決勝
- ジョン・ブロムウィッチ vs. ディニー・ペイルズ 7-5, 6-0, 6-0
- ジャック・クロフォード vs. マックス・ニューカム 6-3, 6-0, 7-5
- エイドリアン・クイスト vs. ビル・シッドウェル 6-3, 11-13, 6-3, 6-2
- ビビアン・マグラス vs. ハリー・ホップマン 6-8, 6-1, 7-5, 6-2
準決勝
- ジャック・クロフォード vs. ジョン・ブロムウィッチ 6-4, 6-1, 9-7
- エイドリアン・クイスト vs. ビビアン・マグラス 6-4, 10-8, 6-3
女子シングルス
[編集]準々決勝
- ナンシー・ウィン vs. グウェン・オハロラン 6-0, 6-3
- ジョーン・ハーティガン vs. メイ・ハードキャッスル 6-2, 6-3
- ネル・ホール・ホップマン vs. アリソン・ハタズリー 6-3, 6-4
- テルマ・コイン vs. コニー・コート 6-1, 6-3
準決勝
- ナンシー・ウィン vs. ジョーン・ハーティガン 6-0, 1-6, 6-1
- テルマ・コイン vs. ネル・ホール・ホップマン 6-4, 2-6, 6-3
決勝戦の結果
[編集]- 男子シングルス:エイドリアン・クイスト vs. ジャック・クロフォード 6-3, 6-1, 6-2
- 女子シングルス:ナンシー・ウィン vs. テルマ・コイン 5-7, 6-4, 6-0
- 男子ダブルス:エイドリアン・クイスト&ジョン・ブロムウィッチ vs. ジャック・クロフォード&ビビアン・マグラス 6-3, 7-5, 6-1
- 女子ダブルス:ナンシー・ウィン&テルマ・コイン vs. ジョーン・ハーティガン&エミリー・ニーマイヤー 7-5, 6-2
- 混合ダブルス:コリン・ロング&ナンシー・ウィン vs. ハリー・ホップマン&ネル・ホール・ホップマン 7-5, 2-6, 6-4
脚注
[編集]- ^ 「テニス・フォーラム」スレッドによれば「シード選手8名全員がベスト8に残った」と書かれているが、全員の正確なシード順位が残っていないため、ここには第1・第2シードのみ掲載
参考文献
[編集]- “Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
- Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3
外部リンク
[編集]先代 1939年全米選手権 (テニス) |
テニス4大大会 1939年 - 1940年 |
次代 1940年全米選手権 (テニス) |
先代 1939年オーストラリア選手権 (テニス) |
全豪オープン 1940年 |
次代 1946年オーストラリア選手権 (テニス) |