リチャード・ウィリアムソン (アメリカンフットボール)
リチャード・ウィリアムソン Richard Williamson | |
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生年月日 | 1941年4月13日(83歳) |
生誕地 | アメリカ合衆国アラバマ州フォートデポジット |
没年月日 | 2015年9月21日 |
死没地 | ノースカロライナ州シャーロット |
ポジション | エンド |
大学 | アラバマ大学 |
主な経歴 | |
レギュラーシーズン: 4勝15敗 | |
コーチ成績 | Pro Football Reference |
所属チーム(コーチ/管理職) | |
1963-1967 1968-1969 1970-1971 1972-1974 1975-1980 1983-1986 1987-1990 1990-1991 1992-1994 1995-2000 2000-2001 2002-2009 |
アラバマ大学(WR) アーカンソー大学(アシスタント) アラバマ大学(DL) アーカンソー大学(OC) メンフィス州立大学(HC) カンザスシティ・チーフス(WR) タンパベイ・バッカニアーズ(AHC/WR) タンパベイ・バッカニアーズ(HC) シンシナティ・ベンガルズ(WR) カロライナ・パンサーズ(WR) カロライナ・パンサーズ(AHC/OC/WR) カロライナ・パンサーズ(WR) |
リチャード・ウィリアムソン(Richard Williamson 1941年4月13日 - 2015年9月21日)は、アラバマ州フォートデポジット出身のアメリカンフットボールコーチ。メンフィス州立大学(現メンフィス大学)、NFLのタンパベイ・バッカニアーズでヘッドコーチを務めた。
大学時代
[編集]アラバマ大学ではベア・ブライアントヘッドコーチの下でプレーした。ジョー・ネイマスの大学初のTDパスをとったのは彼である[1]。1963年のAFLドラフト7巡55位でボストン・ペイトリオッツから指名されたがプロ入りせず、アラバマ大学にコーチとして残り、1964年、1965年の全米チャンピオンに貢献した。
アーカンソー・レイザーバックスで2年コーチを務めた後、1970年、1971年はアラバマ大学のコーチに復帰、1972年から1974年はアーカンソー大学のコーチを務めた。
1975年、メンフィス州立大学のヘッドコーチに就任、1980年まで務めた。この間、サザン・インディペンデント・カンファレンスの最優秀コーチに2度選ばれた。メンフィスのヘッドコーチを解任された後、ブルーボネットボウルのエクゼクティブディレクターを務めた。
NFLコーチ
[編集]1983年、カンザスシティ・チーフスの新ヘッドコーチとなったジョン・マコーヴィックの下でアシスタントコーチとなった。
1986年シーズン終了後、マコーヴィックコーチが解任されると1987年からタンパベイ・バッカニアーズのレイ・パーキンスの下でオフェンスコーディネーターを務めた。1990年シーズン終盤にパーキンスが解任されると暫定ヘッドコーチを務め、1勝2敗の成績を残した。1991年に正式にヘッドコーチに就任したが、3勝13敗に終わり、シーズン終了後に解任された。
1992年からシンシナティ・ベンガルズのデイブ・シュラヘッドコーチの下でWRコーチを務めた。
1995年、新チームであるカロライナ・パンサーズのWRコーチに就任した。2000年には、ジョージ・シーファートヘッドコーチの下でアシスタントヘッドコーチを務め、シーズン残り4試合を残した時点でビル・マスグレイブが辞任した後は、オフェンスコーディネーターを務めた。2001年シーズン終了後、ジョン・フォックスがヘッドコーチに就任した後も、WRコーチを続けた。優れたWRコーチとして知られた彼は[2]、パンサーズではムーシン・ムハメド、スティーブ・スミスらプロボウルWRを育てた[2]。
2010年1月18日、15年過ごしたパンサーズのコーチを引退することをアナウンスした[2]。彼は1995年のチーム結成以来最後まで残っていたスタッフであった。
引退後
[編集]2015年9月21日、ノースカロライナ州シャーロットで亡くなった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b David Newton (2015年9月24日). “Richard Williamson dies; coached Panthers receiver Smith to stardom”. ESPN. 2018年12月31日閲覧。
- ^ a b c Pat Yasinskas (2010年1月19日). “Williamson retires from Panthers at 68”. ESPN. 2018年12月31日閲覧。
先代 レイ・パーキンス |
タンパベイ・バッカニアーズヘッドコーチ 1990–1991 |
次代 サム・ワイチ |