レイ・パーキンス
レイ・パーキンス Walter Ray Perkins | |
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生年月日 | 1941年12月6日 |
生誕地 | アメリカ合衆国ミシシッピ州マウントオリーブ |
没年月日 | 2020年12月9日(79歳没) |
ポジション | ワイドレシーバー |
大学 | アラバマ大学 |
NFLドラフト | 1966年/第7巡(全体110位) |
主な経歴 | |
レギュラーシーズン: 42勝75敗 | |
ポストシーズン: 1勝1敗 | |
キャリアレコード: 43勝76敗 | |
選手成績 | Pro Football Reference |
コーチ成績 | Pro Football Reference |
所属チーム(選手) | |
1967-1971 | ボルチモア・コルツ |
所属チーム(コーチ/管理職) | |
1973 1974-1977 1978 1979-1982 1983-1986 1987-1990 1992 1993-1996 1997 1999-2000 |
ミシシッピ州立大学 (アシスタント) ニューイングランド・ペイトリオッツ (アシスタント) サンディエゴ・チャージャーズ (オフェンスコーディネーター) ニューヨーク・ジャイアンツ (ヘッドコーチ) アラバマ大学 (ヘッドコーチ) タンパベイ・バッカニアーズ (ヘッドコーチ) アーカンソー州立大学 (ヘッドコーチ) ニューイングランド・ペイトリオッツ (オフェンスコーディネーター) オークランド・レイダース (オフェンスコーディネーター) クリーブランド・ブラウンズ (タイトエンド) |
レイ・パーキンス(Walter Ray Perkins 1941年12月6日 - 2020年12月9日)は、ミシシッピ州マウントオリーブ出身の元アメリカンフットボール選手、アメリカンフットボールコーチ。NFL、カレッジフットボールそれぞれで選手、コーチ経験がある。
選手歴
[編集]1964年から1966年までアラバマ大学の名将だったベア・ブライアントの下でプロフットボール殿堂入りを果たしたジョー・ネイマスらと共にプレイした。1964年、1965年、1966年とアラバマ大学はサウスイースタン・カンファレンスのチャンピオンとなっただけでなく、1964年、1965年には全米チャンピオンとなった。4年次に彼はチームキャプテンを任されオールアメリカンにも選ばれた。卒業後NFLのボルチモア・コルツ入りし、1970年、オークランド・レイダースとのAFCチャンピオンシップゲームではジョニー・ユナイタスからの68ヤードタッチダウンパスをレシーブする活躍を見せて、チームは第5回スーパーボウルに出場し、スーパーボウルでは優勝を果たしている。
指導者歴
[編集]現役引退後、ニューイングランド・ペイトリオッツのアシスタントコーチ(1974年-1977年)、サンディエゴ・チャージャーズのオフェンスコーディネーター(1978年)を経て1979年から1982年にはニューヨーク・ジャイアンツのヘッドコーチを務めた。この時彼の元にいたアシスタントコーチには後にスーパーボウルを制覇するビル・パーセルズ、ビル・ベリチックや2005年からクリーブランド・ブラウンズのヘッドコーチとなったロメオ・クレネルがいる。
1983年に母校アラバマ大学のヘッドコーチに就任、1985年12月には3年間の契約延長を果たした[1]。1986年シーズン終了後、タンパベイ・バッカニアーズからのヘッドコーチのオファーを受けた彼は母校を後に2回目のNFLヘッドコーチ就任を果たした[2]。
1987年から1990年の4年間、彼はタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチを務めたがその際、アラバマ大学時代の教え子であるマイク・シュラー、カート・ジャービス、キース・マッカンツらも起用した。1990年シーズンの12月3日に解任され[3]、後任にはリチャード・ウィリアムソンが就任した。ジャイアンツ時代とあわせたNFLヘッドコーチとしての通算成績は42勝75敗であった。
1991年12月、アーカンソー州立大学のヘッドコーチに就任した[4]。1993年から1996年までニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーターとしてビル・パーセルの下でアシスタントコーチを務め、1997年にはオークランド・レイダースのオフェンスコーディネーターに、1999年から[5]2000年にはクリーブランド・ブラウンズのタイトエンドコーチを務めた。
引退後
[編集]2012年、旧友で66歳のトム・コフリンについて、あと15年から20年は現役でコーチを続けることができると語った[6]。
2020年12月9日に死去。79歳没[7]。
受賞歴
[編集]- 1966年サウスイースタンカンファレンス年間最優秀選手
- 1966年オールアメリカンファーストチーム、ワイドレシーバー部門
- 1990年アラバマ州スポーツ殿堂入り
- 2005年シニアボウル殿堂入り
脚注
[編集]- ^ “Names in the News”. ロサンゼルス・タイムズ (1985年12月8日). 2013年5月2日閲覧。
- ^ “Schnellenberger: No Contact Made”. サン・センティネル (1987年1月2日). 2013年5月2日閲覧。
- ^ Rich Cimini (1990年12月29日). “Testaverde Says Future Brighter Without Perkins”. サン・センティネル. 2013年5月2日閲覧。
- ^ “Perkins Takes Arkansas State Coaching Job”. ロサンゼルス・タイムズ (1991年12月29日). 2013年5月2日閲覧。
- ^ “Browns add Ray Perkins to staff”. スポーツ・イラストレイテッド (1999年2月9日). 2013年5月2日閲覧。
- ^ “「コフリンHCはあと20年はできる」、旧友の元HCが太鼓判”. NFL JAPAN (2012年7月5日). 2012年7月14日閲覧。
- ^ “Former Alabama coach Ray Perkins passes away at home” (英語). al.com. (2020年12月10日) 2020年12月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
- Coaching History
先代 ジョン・マクベイ |
ニューヨーク・ジャイアンツヘッドコーチ 1979–1982 |
次代 ビル・パーセルズ |
先代 ベア・ブライアント |
アラバマ大学ヘッドコーチ 1983–1986 |
次代 ビル・カリー |
先代 リーマン・ベネット |
タンパベイ・バッカニアーズヘッドコーチ 1987–1990 |
次代 リチャード・ウィリアムソン |
先代 アル・キンケイド |
アーカンソー州立大学ヘッドコーチ 1992 |
次代 ジョン・ボボ |