リディア・チェプクルイ
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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | リディア・トゥム・チェプクルイ | ||||||||||||||
国籍 | ケニア | ||||||||||||||
競技 | 陸上競技 | ||||||||||||||
種目 | 3000mSC | ||||||||||||||
生年月日 | 1984年8月23日(40歳) | ||||||||||||||
生誕地 | ケニア | ||||||||||||||
自己ベスト | 3000mSC: 9分12秒55(2013年) | ||||||||||||||
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リディア・トゥム・チェプクルイ(Lydiah Tum Chepkurui、1984年8月23日 - )は、ケニアの陸上競技選手。専門は3000メートル障害。自己ベストは9分12秒55(2013年)。
経歴
[編集]チェプクルイの初期の成績は、陸上競技選手として相対的にレベルの低いものであった。2006年のケニア警察選手権(Kenyan Police Championships)で800mに出場し、2分16秒4で3位に入賞した[1]。 2010年にはアフリカ選手権に七種競技の代表として出場、最終種目の800mで2分15秒40(877点)をマーク、フィールド種目でも自己ベストを出すも、100mハードルが20秒76(242点)、砲丸投が6m83(324点)と国際標準からすると劣っていたため、最終成績は3676点で出場選手中最下位に沈んだ[2]。
2011年、チェプクルイは3000m障害に転向し、初めて国際水準に達した。同年中に9分30秒73まで記録を向上させ、ロンドングランプリを5位で、アフリカ競技大会を4位で競技を終えた。翌2012年のロンドンオリンピックにはケニア代表の選考会で6位だったため出場は叶わなかったものの、2012年IAAFダイヤモンドリーグサーキットは好成績を上げた。上海ゴールデングランプリで3位、ビスレットゲームズで5位、ミーティングアレヴァで準優勝、ヴェルトクラッセチューリッヒとDNガランで4位になったのである[3]。2012年シーズンの自己ベスト9分14秒98はストックホルムで記録し、同年の世界第8位の成績を収めた[4]。
世界レベルの主要大会での初優勝は2013年5月のカタールスーパーグランプリで、自己ベストとなる9分13秒75をマークし、オリンピックでメダルを獲得したことのあるハビバ・グリビ、ソフィア・アセファ、ミルカ・チェモス・チェイワといった強力な選手に打ち勝った[5]。世界選手権ではチェモスに敗れたものの、9分12秒55の自己新記録で銀メダルを獲得した[6]。
脚注
[編集]- ^ Omulo, Okoth (2006年6月17日). “Kemboi and Ochichi star at Kenya Police champs - Day Two”. IAAF. 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。
- ^ “Heptathlon Women - Dames”. 2010 African Championships. 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。
- ^ “Lydiah Chepkurui”. Tilastopaja. 2014年2月22日閲覧。
- ^ “3000m steeplechase women 2012”. IAAF. 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。
- ^ “2013 Doha Women’s Steeplechase: Lydiah Chepkurui pulls off a big upset”. Lets Run (2013年5月10日). 2013年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月23日閲覧。
- ^ “ケニアのチェモスが女子3000m障害制す、第14回世界陸上”. AFPBB (2013年8月14日). 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- リディア・チェプクルイ - ワールドアスレティックスのプロフィール