リュボーフィ・エゴロワ (バレエダンサー)
リュボーフィ・エゴロワ | |
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生誕 |
Любовь Николаевна Егорова Lubov Nikolayevna Yegorova 1880年8月8日 ロシア帝国・サンクトペテルブルク |
死没 |
1972年8月18日 (92歳没) フランス・パリ |
リュボーフィ・ニコラエヴナ・エゴロワ(Lubov Nikolayevna Yegorova、Любовь Николаевна Егорова; 1880年8月8日 - 1972年8月18日)は、ロシアのバレエダンサーである。ロシア帝室バレエとバレエ・リュスで活躍した。
経歴
[編集]ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに生まれる。サンクトペテルブルクの帝室演劇学校でエカチェリーナ・ヴァゼム、エンリコ・チェケッティ、アンナ・ヨハンソンに師事した。1898年に卒業し、帝室マリインスキー劇場付きのロシア帝室バレエにコリフェとして入団、1914年にバレリーナに昇格した[訳注 1]。『ジゼル』でミルタを演じたことがセルゲイ・ディアギレフの目に留まり、1918年に『眠れる森の美女』のフロリナ王女役でヴァーツラフ・ニジンスキーと共演した。その後もディアギレフ率いるバレエ・リュスでさまざまな役柄を演じた。
1917年にマリインスキー劇場で行われた引退公演で『白鳥の湖』に出演したがその後も踊り続け、1921年にロンドンでのディアギレフ版『眠れる森の美女』でオーロラ姫の初演キャストを務めた。舞台引退後は1923年から1968年までパリのバレエ・リュス学校の校長として指導にあたった[1]他、1937年にバレエ団バレエ・デ・ラ・ジュネスを設立した。1964年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を授与された[2]。著名な教え子にセルジュ・リファール、アントン・ドーリン[3]、イヴォンヌ・マウンジー、キャサリン・リトルフィールド[4]の他、1925年に自伝的小説「ワルツは私と」で「マダム」のもとで学んだと書いたゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルドがいる。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの娘、ルシア・ジョイスも指導した[5]。
私生活
[編集]1917年11月にエルミタージュ美術館館長の息子、ニキータ・セルゲーエヴィチ・トルベツコイ公子と結婚した。後に資産運用に失敗して財産を失い、1972年にパリの老人ホームでなくなった。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Tate, Mary Jo (2007). Critical companion to F. Scott Fitzgerald: a literary reference to his life and work. p. 292
- ^ “Russian Ballet History”. 29 June 2019閲覧。
- ^ “Lubov Egorova”. 27 January 2012閲覧。
- ^ Skeel, Sharon. Catherine Littlefield: A Life in Dance. Oxford University Press, 2020.
- ^ Lucia Joyce - To Dance in the Wake by Carol Loeb Schloss.
訳注
[編集]- ^ 一般に「バレリーナ」というと女性バレエダンサーを意味することが多いが、ロシアでは女性バレエダンサーのうち主役級の役柄のみを演じる、実力のあるダンサーのことを指す。