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李漢宰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リ・ハンジェから転送)
李 漢宰
名前
愛称 ハンジェ、ハンちゃん
カタカナ リ・ハンジェ
ラテン文字 Ri(Lee) Han Jae
ハングル 리한재
基本情報
国籍 朝鮮籍
生年月日 (1982-06-27) 1982年6月27日(42歳)
出身地 岡山県倉敷市
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
日本の旗 川鉄サッカークラブ
1995-1997 日本の旗 倉敷朝鮮初中級学校
1998-2000 日本の旗 広島朝鮮初中高級学校
日本の旗 広島県立西高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2009 日本の旗 サンフレッチェ広島 151 (7)
2010 日本の旗 コンサドーレ札幌 2 (0)
2011-2013 日本の旗 FC岐阜 53 (1)
2014-2020 日本の旗 FC町田ゼルビア 143 (7)
通算 349 (15)
代表歴
2004-2005 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 7 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

李 漢宰(リ・ハンジェ、朝鮮語: 리한재1982年6月27日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロサッカー選手在日朝鮮人三世[1]。ポジションはミッドフィールダー広島朝鮮高級学校卒業[2]。元北朝鮮代表。

人物

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朝鮮学校からは初のストレートでJリーグ入りを果たした朝鮮籍のプロサッカー選手[2]

元々は攻撃的なMFの選手であり、現在は右アウトサイドやボランチとしてプレーしている。またプレースキッカーも担当する。

来歴

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5人兄弟の4番目で、兄弟の影響でサッカーを始める[1]。岡山の名門クラブ・川鉄SS出身。倉敷朝鮮初中級学校時代に在日朝鮮人サッカー全国大会にて優秀選手に選ばれている。

広島朝鮮高級学校卒業。なお準外国人選手登録のため、通信制の広島県立西高等学校も卒業している[3]

2001年、攻撃的なMFとしてサンフレッチェ広島F.Cに加入[1]。同期加入は、林卓人河野淳吾トゥーリオ西嶋弘之梅田直哉[2]

2002年5月にナビスコカップで右SBとしてプロデビュー、同年に北朝鮮U-23代表に選出され、釜山アジア大会に出場[4]

なかなか出場機会を与えられなかったが、小野剛に監督が代わってからボランチとして起用され始める。2004年北朝鮮A代表として招集され、10月13日2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会アジア1次予選イエメン戦でゴールを決めた。2005年、アジア最終予選も安英学と共に代表に選出され、日本戦、イラン戦、バーレーン戦に右アウトサイドとして出場した[4]。また、クラブでも右アウトサイドとして起用され始め、2006年ミハイロ・ペトロヴィッチ監督になってからは攻撃的MF、右アウトサイドの控えとなった。

2008年、駒野友一の移籍に伴い右アウトサイドでレギュラーとして活躍、J1昇格に貢献。2009年1月、活躍が認められ北朝鮮代表冬季強化合宿メンバーに選ばれた[5]。同年はミハエル・ミキッチが右サイドに定着したため出場機会を減らし、同年末に戦力外通告を受ける[6]

2010年、コンサドーレ札幌へ移籍したが、右膝の怪我で出場機会がほぼなく、同年限りで契約満了により退団した[1][7]

2011年、FC岐阜に移籍する[1]。同年はシーズンを通して怪我の治療との闘いだったが、2012年にはスタメンに定着。同年に移籍加入した服部年宏と元代表コンビでダブルボランチを組んで若手を牽引。

2013年シーズン終了後、契約満了により退団[8]

2014年、FC町田ゼルビアに移籍。キャプテンマークを任される。

2015年~2018年、FC町田ゼルビアの更新選手 第1号として契約更新[9][10][11][12]。特に2015年シーズンはリーグ戦全36試合と入れ替え戦2試合に出場し、クラブをJ2昇格へ導いた。

2020年12月12日契約満了の発表[13]、その後12月25日に現役引退が発表された[14]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 広島 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 23 1 0 1 0 4 0 6 0
2003 J2 22 1 - 4 0 26 1
2004 16 J1 26 1 5 0 1 0 32 1
2005 19 1 0 0 1 0 20 1
2006 26 2 6 0 2 0 34 2
2007 6 0 3 0 2 0 11 0
2008 J2 37 1 - 4 0 41 1
2009 J1 14 1 3 0 2 0 19 1
2010 札幌 J2 2 0 - 0 0 2 0
2011 岐阜 8 9 0 - 0 0 9 0
2012 32 1 - 1 0 33 1
2013 12 0 - 0 0 12 0
2014 町田 6 J3 27 1 - 0 0 27 1
2015 36 4 - 0 0 36 4
2016 J2 41 1 - 0 0 41 1
2017 22 1 - 0 0 22 1
2018 5 0 - 2 0 7 0
2019 8 0 - 1 0 9 0
2020 4 0 - - 4 0
通算 日本 J1 92 5 18 0 12 0 122 5
日本 J2 194 5 - 12 0 206 5
日本 J3 63 5 - 0 0 63 5
総通算 349 15 18 0 24 0 391 15
その他の公式戦
出場歴

代表歴

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アンダーカテゴリー
  • U-23北朝鮮代表 (第14回アジア競技大会2002釜山) (2002年)
A代表

試合数

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  • 国際Aマッチ 7試合 1得点(2004年-2005年)[15]


北朝鮮代表国際Aマッチ
出場得点
2004 1 1
2005 6 0
通算 7 1

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 第27回 李 漢宰(り はんじぇ)選手”. ギフコミ! (2011年6月). 2013年8月26日閲覧。
  2. ^ a b c 民族の誇り担う喜び MF(32)李漢宰”. 中国新聞 (2001年2月9日). 2013年8月26日閲覧。
  3. ^ 新加入選手の内定について”. サンフレッチェ広島公式 (2000年11月10日). 2001年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月26日閲覧。
  4. ^ a b Jへの挑戦 -在日サッカー選手の心- ①”. 朝鮮新報 (2006年6月29日). 2013年8月26日閲覧。
  5. ^ 李漢宰、北朝鮮代表の合宿へ”. 中国新聞 (2009年1月7日). 2013年8月26日閲覧。
  6. ^ 李漢宰と来季契約せず クラブ方針”. 中国新聞 (2009年12月5日). 2013年8月26日閲覧。
  7. ^ 岐阜が元北朝鮮代表MFを獲得”. ゲキサカ (2011年1月29日). 2013年8月26日閲覧。
  8. ^ 契約満了選手のお知らせ”. FC岐阜 (2013年11月30日). 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
  9. ^ 契約更選手のお知らせ”. FC町田ゼルビア (2014年12月5日). 2014年12月5日閲覧。
  10. ^ 契約更新選手のお知らせ(20日14時現在)”. FC町田ゼルビア (2015年12月20日). 2015年12月21日閲覧。
  11. ^ 契約更新選手のお知らせ(3日10時現在)”. FC町田ゼルビア (2016年12月3日). 2016年12月5日閲覧。
  12. ^ 契約更新選手のお知らせ(29日18時現在)”. FC町田ゼルビア (2017年11月29日). 2017年11月30日閲覧。
  13. ^ 李漢宰選手の契約について”. FC町田ゼルビア (2020年12月12日). 2021年1月14日閲覧。
  14. ^ 李漢宰選手 現役引退及び引退セレモニー実施のお知らせ”. FC町田ゼルビア (2020年12月25日). 2021年1月3日閲覧。
  15. ^ 李漢宰 - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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