河野淳吾
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1982年7月9日(42歳) | |||
身長 | 183.0cm | |||
体重 | 95.0kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会神奈川支部 | |||
期別 | 99期 | |||
脚質 | 追込 | |||
登録地 | ||||
2011- | 神奈川 | |||
■最終更新日:2010年11月1日 ■テンプレートを表示 |
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名前 | ||||||
カタカナ | コウノ ジュンゴ | |||||
ラテン文字 | KONO Jungo | |||||
基本情報 | ||||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
湯河原サッカースポーツ少年団 | ||||||
1995-1997 | 東海大第一中学校 | |||||
1998-2000 | 清水商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | サンフレッチェ広島 | 0 | (0) | |||
2003-2005 | 横浜FC | 59 | (3) | |||
2006 | 水戸ホーリーホック | 40 | (2) | |||
2007-2008 | 徳島ヴォルティス | 22 | (1) | |||
通算 | 121 | (6) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
河野 淳吾(こうの じゅんご、1982年7月9日 - )は、神奈川県足柄下郡湯河原町出身の競輪選手、元プロサッカー選手。日本競輪選手会神奈川支部に所属。
人物
[編集]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)でプレーした元プロサッカー選手としては初の競輪選手[1]。 サッカー選手時代は、空中戦と1対1に強いセンターバック[2]。
来歴
[編集]サッカー選手として
[編集]地元の湯河原サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。中学から隣県の静岡県に越境入学し、1995年に東海大第一中学、1998年に清水商業高校へと進学する[4]。高校同期に小林大悟、佐野裕哉、秋本倫孝ら。2000年高校3年時には全日本ユース選手権で優勝を果たす。[1]
2001年、サンフレッチェ広島に入団、同期に林卓人、トゥーリオ(現・田中マルクス闘莉王)、西嶋弘之、梅田直哉、李漢宰[4]。広島での公式戦試合出場は、ナビスコ杯に2試合出場に留まった。
2003年、Jサテライトリーグでプレーしていた時にピエール・リトバルスキーの目に留まり、同年6月に横浜FCへ期限付き移籍[5] し、本来のDFだけでなく、MFやFWでも起用され、ポジションを問わずユーティリティに使われ続けた。7月26日の第24節大宮アルディージャ戦では前半1分に退場処分になった菅野孝憲の代わりに89分間GKのポジションを務めた。 翌2004年も移籍期間を延長して横浜FCに在籍するも、なかなか出番の無い時期が続いていた。しかしリーグ終盤の4試合にフル出場するなど貴重な戦力として活躍、翌2005年に横浜FCに完全移籍した[6]。
2006年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍した[7]。「水戸ナチオ」と呼ばれた水戸の硬い守備陣の中でリーダーとして活躍した[2]。
2007年、徳島ヴォルティスへ完全移籍し[7] 主力として活躍したが、同年6月16日対コンサドーレ札幌戦の時にダヴィとの激突(河野からボールを取りに行き、河野がファールの判定を受けた)により右足下腿骨骨折(開放性骨折)により離脱する[8]。復帰が大幅にズレこみ懸命にリハビリを続け2008年11月に復帰する[2] も、以前のプレーが出来ないことから同シーズン終了後現役を引退した[1]。
競輪選手として
[編集]2009年、地元の神奈川県に戻って競輪への転向を目指し、同県の競輪選手である高木隆弘の元へ住み込みで弟子入りした[1][2]。
同年7月17日、日本競輪学校第99期一般入学試験(適性試験)に合格した[9]。同年11月25日入学。2010年10月15日、同校を卒業[1][2]。在校競走成績は74戦1勝で第44位[10]。
同年11月1日付で競輪選手登録された。
2011年1月5日、小田原競輪場でデビューし6着。2012年2月12日、京都向日町競輪場で初勝利を挙げた。
個人成績
[編集]サッカー
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 広島 | 22 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2002 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2003 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
横浜FC | 27 | 22 | 1 | - | 3 | 0 | 25 | 1 | |||
2004 | 14 | 18 | 0 | - | 2 | 0 | 20 | 0 | |||
2005 | 19 | 2 | - | 0 | 0 | 19 | 2 | ||||
2006 | 水戸 | 4 | 40 | 2 | - | 0 | 0 | 40 | 2 | ||
2007 | 徳島 | 2 | 20 | 1 | - | 0 | 0 | 20 | 1 | ||
2008 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
日本 | J2 | 121 | 6 | - | 5 | 0 | 126 | 6 | |||
総通算 | 121 | 6 | 2 | 0 | 5 | 0 | 128 | 6 |
- 公式戦初出場 - 2002年5月6日 ナビスコカップ第4節対浦和レッドダイヤモンズ戦(駒場)
- 68分沢田謙太郎に代わり途中出場、83分警告、89分警告2回で退場
- Jリーグ初出場 - 2003年7月2日 J2 第21節 対アビスパ福岡戦(三ツ沢)
- Jリーグ初得点 - 2003年10月11日 J2 第38節 対水戸ホーリーホック戦(三ツ沢)
脚注
[編集]- ^ a b c d e “元広島DF河野が、競輪選手に転向”. 日刊スポーツ (2010年10月19日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e “【J2日記】水戸:河野淳吾、プロの競輪選手に”. J's GOAL (2010年10月19日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ '四国のチーム・徳島ヴォルティスに移籍した際に、現地の水軍子孫会から宴会に招かれた。
- ^ a b “サンフレ新人素描”. 中国新聞 (2001年2月11日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ “河野 淳吾選手の期限付き移籍について”. J's GOAL (2003年6月21日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ “河野 淳吾選手 サンフレッチェ広島より完全移籍”. J's GOAL (2004年12月22日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ a b “河野 淳吾選手 横浜FCより移籍加入決定のお知らせ”. 徳島ヴォルティス公式 (2007年1月11日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ “河野淳吾選手の負傷について”. J's GOAL (2007年6月20日). 2010年10月21日閲覧。
- ^ “日本競輪学校第99回生徒一般入学試験合格者の発表について”. KEIRIN.JP (2009年7月17日). 2009年7月17日閲覧。
- ^ “第99回生競走成績” (PDF). KEIRIN.JP. 2010年10月19日閲覧。
参考資料
[編集]- 河野淳吾/競輪 「走る場所をピッチからバンクへ」 - NUMBER
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 河野淳吾 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 河野淳吾 - J.League Data Siteによる選手データ
- 選手プロフィール - KEIRIN.JP
- 選手プロフィール - 平塚競輪