リー・ヘイズルウッド
リー・ヘイズルウッド Lee Hazlewood | |
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1968年 | |
基本情報 | |
出生名 | Barton Lee Hazlewood[1] |
生誕 | 1929年7月9日 |
出身地 | アメリカ合衆国 オクラホマ州 |
死没 | 2007年8月4日(78歳没) |
ジャンル | カントリー、ポップ |
職業 | シンガー・ソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ヴォーカル、ギター |
共同作業者 | ナンシー・シナトラ |
公式サイト |
www |
リー・ヘイズルウッド(Lee Hazlewood、1929年7月9日 - 2007年8月4日)は、アメリカ合衆国のシンガー・ソングライター、音楽プロデューサーである。日本語では「リー・ヘイゼルウッド」とも表記される[2]。ナンシー・シナトラのヒット曲「にくい貴方」の作者として知られている[3]。
経歴
[編集]1929年7月9日、オクラホマ州マンフォードに生まれる[4]。テキサス州ポート・ネチェスで育った[1]。彼にとっての音楽的ヒーローは、スタン・ケントンとジョニー・マーサーであった[1]。南メソジスト大学にて薬学を学んだ[5]。朝鮮戦争ではアメリカ陸軍に従軍した[1]。
退役後、アリゾナ州フェニックスに移り住んだ[1]。同州クーリッジのラジオ局にてディスク・ジョッキーを務めた[6]。ヘイズルウッドが作曲した「The Fool」は、歌手のサンフォード・クラークが1956年に吹き込み、チャートのトップ10に入るヒットを記録した[5]。そのほか、ギタリストのデュアン・エディに「Rebel Rouser」などの楽曲を提供した[6]。
1963年、自身初のソロ・アルバム『Trouble Is a Lonesome Town』を発表した[5]。カリフォルニア州ロサンゼルスに移り住んだ彼は、フランク・シナトラからの依頼を受けて、娘のナンシー・シナトラと仕事することになった[4]。彼女の「にくい貴方」は、アメリカ合衆国とイギリスでチャート1位を獲得し、ヘイズルウッドの最も有名な楽曲となった[5]。2人はデュオとして3枚のアルバムを残した[6]。
ヘイズルウッドが設立したLHIから、1968年、グラム・パーソンズのインターナショナル・サブマリン・バンドのアルバムが発売された[4]。同レーベルからは、ヘイズルウッド自身の作品も発売された[3]。
彼は成功の絶頂でスウェーデンに渡り、1970年代に複数の実験的なソロ・アルバムを発表した[4]。1970年代前半は、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国を往復する生活を送った[7]。1978年以降は音楽活動を休止していたが、1993年に復帰し、再びアメリカ合衆国を拠点に活動した[5]。
2007年8月4日、腎臓がんによりネバダ州ヘンダーソンにて死去[3]。78歳没[3]。2006年の『Cake or Death』が彼の最後のアルバムとなった[8]。
ディスコグラフィー
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- Trouble Is a Lonesome Town (1963年)
- The N.S.V.I.P.'s (1965年)
- Friday's Child (1966年)
- The Very Special World of Lee Hazlewood (1966年)
- Lee Hazlewoodism: Its Cause and Cure (1967年)
- The 98% American Mom & Apple Pie 1929 Crash Band (1967年)
- Nancy & Lee (1968年) (ナンシー・シナトラとの共作)
- Love and Other Crimes (1968年)
- Something Special (1968年)
- The Cowboy & the Lady (1969年) (アン=マーグレットとの共作)
- Forty (1969年)
- Cowboy in Sweden (1970年)
- Requiem for an Almost Lady (1971年)
- Nancy & Lee Again (1972年) (ナンシー・シナトラとの共作)
- 13 (1972年)
- I'll Be Your Baby Tonight (1973年)
- Poet, Fool or Bum (1973年)
- A House Safe for Tigers (1975年)
- 20th Century Lee (1976年)
- Back on the Street Again (1977年)
- Movin' On (1977年)
- Gypsies & Indians (1993年) (アンナ・ハンスキとの共作)
- Farmisht, Flatulence, Origami, ARF!!! & Me... (1999年) (アル・ケイシー・コンボとの共作)
- For Every Solution There's a Problem (2002年)
- Bootleg Dreams & Counterfeit Demos (2002年)
- Nancy & Lee 3 (2004年) (ナンシー・シナトラとの共作)
- Cake or Death (2006年)
ライヴ・アルバム
[編集]- The Stockholm Kid (1974年)
- The Lycanthrope Tour: Europe 2002 (2003年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e Cromelin, Richard (2007年8月7日). “Lee Hazlewood, 78; wrote Nancy Sinatra song 'These Boots Are Made for Walkin' ' (1/2)”. Los Angeles Times. 2018年2月11日閲覧。
- ^ “リー・ヘイゼルウッドが死去、プライマル・スクリームのボビーが追悼の意”. rockin'on.com (2007年8月8日). 2018年2月20日閲覧。
- ^ a b c d Cohen, Jonathan (2007年8月6日). “Singer/Songwriter Lee Hazlewood Dies At 78”. Billboard. 2018年2月11日閲覧。
- ^ a b c d Michel, Sia (2007年8月7日). “Lee Hazlewood, 'Boots' Songwriter, Dies at 78”. The New York Times. 2018年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e Cartwright, Garth (2007年8月6日). “Lee Hazlewood”. The Guardian. 2018年2月11日閲覧。
- ^ a b c Contreras, Felix (2007年8月6日). “Lee Hazlewood: Writer Gave Music Biz the 'Boots'”. NPR. 2018年2月11日閲覧。
- ^ Cromelin, Richard (2007年8月7日). “Lee Hazlewood, 78; wrote Nancy Sinatra song 'These Boots Are Made for Walkin' ' (2/2)”. Los Angeles Times. 2018年2月11日閲覧。
- ^ Boden, Sarah (2007年8月7日). “Lee Hazlewood”. The Guardian. 2018年2月11日閲覧。
関連文献
[編集]- Wallace, Wyndham (2015). Lee, Myself & I: Inside the Very Special World of Lee Hazlewood. Jawbone Press