ルイス・カルロス・トッフォリ
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名前 | ||||||
本名 |
ルイス・カルロス・トッフォリ Luís Carlos Tóffoli | |||||
愛称 | ガウショ | |||||
ラテン文字 | GAUCHO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1964年3月7日 | |||||
出身地 | リオグランデ・ド・スル州カノアス | |||||
没年月日 | 2016年3月17日(52歳没) | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
ユース | ||||||
フラメンゴ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1982-1984 | フラメンゴ | |||||
1985 | キンゼ・デ・ピラカシーバ | |||||
1986 | サント・アンドレ | |||||
1986-1987 | 読売クラブ | 16 | (9) | |||
1987-1988 | サント・アンドレ | |||||
1988 | グレミオ | |||||
1988-1989 | パルメイラス | |||||
1990-1993 | フラメンゴ | |||||
1991 | → ボカ・ジュニアーズ (loan) | 2 | (0) | |||
1993 | USレッチェ | 5 | (0) | |||
1994 | アトレチコ・ミネイロ | |||||
1995 | ポンチ・プレッタ | |||||
1995 | フルミネンセ | |||||
1996 | アナポリス | |||||
監督歴 | ||||||
2010 | ミストEC | |||||
2011 | ルヴェルデンセEC | |||||
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ガウショ (Gaúcho) ことルイス・カルロス・トッフォリ(Luís Carlos Tóffoli, 1964年3月7日 - 2016年3月17日)は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州ポルトアレグレ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
来歴
[編集]選手時代
[編集]フラメンゴの育成組織出身で[1]、トップチームでは1982年6月6日に行われたデスポルチーヴァ-ES戦でデビュー[2]。1985年にキンゼ・デ・ピラカシーバに移籍すると、公式戦と親善試合を含め46試合で15得点をあげた[3]。
サント・アンドレを経て[4]、1986年に日本サッカーリーグ (JSL) 1部の読売クラブに移籍[4]。武田修宏とツートップを組み空中戦とボールキープに強さを発揮すると[5]、JSL1部と天皇杯の二冠獲得に貢献した[5]。
読売退団後は古巣のサント・アンドレ、グレミオを経て[2]、1988年にパルメイラスに移籍[5]。この年のパルメイラスはセンターフォワードを固定できずにいたが、ガウショは直後の練習試合で結果を残しレギュラーに定着した[5]。一方、1989年になると同じポジションのミランジーニャが加入したため移籍の道を模索するようになった[1]。
1990年、フラメンゴに復帰し[6]、同年2月11日に行われたカボフリエンセ戦で初得点を記録[1][2]。フラメンゴではレナト・ガウショ、レオナルド、ジーニョ、パウロ・ヌネス、ジャウミーニャらとチームメイトとなり[2]、在籍した3年間で3つのタイトル(1990年のコパ・ド・ブラジル、1991年のリオデジャネイロ州選手権、1992年のブラジル全国選手権)獲得に貢献[2][6]。個人としても1990年と1991年にフラメンゴの最多得点者となり、1991年のコパ・リベルタドーレスでは8得点をあげて得点王となった[2]。一連の活躍からフラメンゴのアイドル的な存在とも称された[7]。
フラメンゴでの成功を受けて国外へ活躍の場を求めるようになり、1991年6月にはアルゼンチンのボカ・ジュニアーズへ短期間のレンタル移籍[8]。1993年夏にはイタリアのUSレッチェへ移籍したが9月18日に行われたUSフォッジャ戦でPKを失敗するなど結果を残せず、リーグ戦5試合、カップ戦1試合出場のみに終わった[9]。その後はブラジルに戻り、アトレチコ・ミネイロ、ポンチ・プレッタ、フルミネンセを渡り歩いた後、1996年にアナポリスで現役を引退した[10]。
引退後
[編集]引退後はサッカースクールを開設し少年層の指導にあたっていたが、2001年にクイアバECを設立し初代会長となった[10][11]。クラブはマットグロッソ州選手権を2度(2003年、2004年)制した[11]。2006年限りでクラブを売却し、その後はミストECやルヴェルデンセECで監督を務めた[10]。
2008年頃から前立腺癌を患い、長い闘病生活の末に2016年3月17日に死去した[10][12]。
エピソード
[編集]- 1988年11月17日に行われたブラジル全国選手権第2ラウンド[13]、フラメンゴ戦でGKを務めた[3]。これは試合中に正GKのゼッチが負傷し、すでに交代枠を使い切っていたための起用だった[3]。1-1の同点で迎えたPK戦ではジーニョとアウダイールのシュートを止め勝利に貢献した[3][6]。
- 1991年6月にはアルゼンチンのボカ・ジュニアーズへ短期間のレンタル移籍をした[8]。これは前期リーグ王者のニューウェルズ・オールドボーイズとの決勝戦を控えていた後期リーグ王者のボカが、アルゼンチン代表に招集されたためチームを離脱したガブリエル・バティストゥータとディエゴ・ラトーレに代わる選手として獲得したものだった[8]。この移籍に関してボカのサポーターからは批判の声もあった[8]。ガウショはニューウェルズ戦の2試合に出場したが無得点に終わった[8]。
- 妻のイネス・ガウヴォンは女優で、結婚後は家業に専念していたが[14]、2019年に復帰している[15]。
個人成績
[編集]日本国内成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | 読売 | 23 | JSL1部 | 16 | 9 | 0 | 0 | 4 | 3 | 20 | 12 |
通算 | 日本 | JSL1部 | 16 | 9 | 0 | 0 | 4 | 3 | 20 | 12 | |
総通算 | 16 | 9 | 0 | 0 | 4 | 3 | 20 | 12 |
選抜歴
[編集]- JSL選抜
- 通算2試合1得点(ゼロックス・スーパーサッカー・南米選抜戦、ソウル五輪予選壮行試合・日本代表戦[16])
獲得タイトル
[編集]クラブ
[編集]- 日本サッカーリーグ 1回 (1986-87)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 (1986年)
- コパ・ド・ブラジル 1回 (1990年)
- リオデジャネイロ州選手権 1回 (1991年)
- ブラジル全国選手権 1回 (1992年)
個人
[編集]- リオデジャネイロ州選手権得点王 1回 (1991年) 17得点
- コパ・リベルタドーレス得点王 1回 (1991年) 8得点
脚注
[編集]- ^ a b c “O VASCO TREME CONTRA O FLAMENGO”. Placar Magazine (1990年3月). 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e f André Schmidt (2016年3月18日). “Jogos e gols de Gaúcho pelo Flamengo”. Lance!. 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b c d “XV lamenta a morte de Gaúcho, ex-jogador do clube”. xvpiracicaba.com (2016年3月18日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b 「面白くなければサッカーじゃない! JSL開幕のホットな2日間」『イレブン』1987年1月号、日本スポーツ出版社、76-77頁。
- ^ a b c d 「DIGEST SPECIAL INTERVIEW ガウショ(パルメイラス)」『サッカーダイジェスト』1989年2月号、日本スポーツ企画出版社、41-44頁。
- ^ a b c “Ex-centroavante de Grêmio e Flamengo, Gaúcho morre aos 52 anos”. GZH (2016年3月17日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ Mauro Cezar Pereira (2016年3月18日). “Gaúcho, campeão brasileiro de 1992 pelo Flamengo, morre em São Paulo”. ESPN.com. 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e “Ídolo do Flamengo, Gaúcho foi ao Boca para substituir Batistuta”. Futebol Portenho (2016年3月18日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ “LECCE – Addio al ‘Gaucho’ Toffoli, bomber mai sbocciato in maglia giallorossa”. .net (2016年3月18日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b c d “Cuiabá x Grêmio: Renato encara legado que melhor parceiro de campo e vida deixou: 'Eles tinham um amor de irmão'”. ESPN.com (2020年11月11日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ a b “Cuiabá: do sonho de Gaúcho ao sucesso na Série C 2018”. ブラジルサッカー連盟 (2018年8月21日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ “Gaucho ha perso la sua battaglia: l'ex Lecce è morto a 52 anni”. GOAL.com (2016年3月18日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ “Brazil 1988 Championship - II Copa União (1st level)”. RSSSF Brazil.com. 2021年10月16日閲覧。
- ^ “CASADA HÁ 24 ANOS COM O EX-JOGADOR GAÚCHO, INÊS GHALVÃO DIZ POR QUE LARGOU A CARREIRA DE ATRIZ: ‘PELOS MEUS FILHOS’”. extra.globo.com (2015年8月18日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ “Após passar 18 anos fora da TV, atriz ganha emprego na Record: 'Fiquei tensa'”. noticiasdatv.uol.com (2019年8月28日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ 日本サッカーリーグ 編『日本サッカーリーグ・イヤーブック '90→'91』日本サッカーリーグ、1990年、159頁。