ルジェ
Legé | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | ロワール=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | ナント郡 |
小郡 (canton) | サン=フィルベール=ド=グラン=リュー小郡 |
INSEEコード | 44081 |
郵便番号 | 44650 |
市長(任期) |
ジャン=クロード・ブリソン (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Loire-Atlantique méridionale |
人口動態 | |
人口 |
4350人 (2012年) |
人口密度 | 69人/km2 |
住民の呼称 | Legéens |
地理 | |
座標 | 北緯46度53分11秒 西経1度35分51秒 / 北緯46.8863888889度 西経1.5975度座標: 北緯46度53分11秒 西経1度35分51秒 / 北緯46.8863888889度 西経1.5975度 |
標高 |
平均:m 最低:18m 最高:94m |
面積 | 63.32km2 |
公式サイト | http://www.ville-lege44.fr/ |
ルジェ (Legé)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。
1790年に県が設置された後、ルジェ教区はマルシュ・ブルターニュ・ポワトゥー(かつてのブルターニュ公領とポワトゥー伯領の間に広がる緩衝地帯)の一部となり、リュソン司教区の一部となった(現在はナント司教区の教区)。
地理
[編集]ルジェはナントの40km南にある。
周辺のコミューンは、同じ県のコルクエ・シュル・ロニュ、トゥーヴォワ、ヴァンデ県のロシュセルヴィエール、レ・リュック=シュル=ブローニュ、サンテティエンヌ・デュ・ボワである。
1999年にINSEEがまとめた順位表によれば、ルジェは都市圏に含まれない農村型コミューンである。
由来
[編集]ルジェという名は、2世紀か3世紀につくられたガロ=ローマ時代の古いドメーヌをさしている。
歴史
[編集]ルジェ教区の名はLegiacoの名で、トゥルニュ修道院に関する文書上で1119年に記述されている。この修道院は875年に聖フィリベールの後援のもと、西フランク王シャルル2世の支援を受けて建てられている。
ルジェの領地内で、12世紀終わりか13世紀初頭に、ポワトヴァン地方の2つの修道院が創設された。ベネディクト会派でシャトー=ドロンヌにあったサン・ジャン・ドルブスティエ修道院(1107年にアキテーヌ公ギヨームが創設)が、聖マドレーヌの後援のもと、ラ・ペランシュ小修道院を建てた。フォントネー=ル=コント近くにあったアウグスティノ会派のニユ・シュル・オティズ修道院は、サン・ローラン・ド・フジェール小修道院を建てた。
ルジェはかつてマルシュ・ブルターニュ・ポワトゥーの一部だった。
ルジェの領土の一部は、レ男爵領に従属していた。
ユグノーの反乱の間、ルイ13世は兵を集めて、リーズ島に向かう前にルジェに1622年4月にやってきた。ユグノー軍を率いるロアン=スービーズ公と対決するためである。
ヴァンデ戦争のさなか、フランソワ・ド・シャレットが1793年の4月から9月までルジェに滞在していた。彼は町に本部を設置したのである。コミューンは1793年4月30日の共和国軍と王党派軍との戦いの舞台となった。シャレット軍は、ボワギュイヨン将軍配下の600人の兵士たちを敗走させた。1794年のヴァンデ戦闘員に対する『秩序回復』の間、多くの住民たちが共和国軍の地獄部隊に虐殺された。同年の2月10日、フロラン・ジョゼフ・デュケノワ将軍率いる共和国軍がシャレットに勝利した。
1861年6月18日の法令によって、ルジェはリュック・シュル・ブローニュやグランランドの面積の一部を獲得した。ロワール=アンフェリウール県とヴァンデ県の境界を修正するためである。
1893年、ルジェはナントからのメーターゲージの鉄道路線の終着駅となった。この路線は1935年に廃止されるまでフランス狭軌鉄道会社によって運営された。同時期、駅はヴァンデ・トラムも運行されていた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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3454 | 3521 | 3433 | 3441 | 3532 | 3588 | 3968 | 4350 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]
史跡
[編集]-
ヴィジタンディーヌ礼拝堂
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ノートルダム・ド・ピティエ礼拝堂
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シャトー・ド・ボワ・シュヴァリエ
-
シャトー・ド・ルタイユ
脚注
[編集]- ^ "Villes bretonnes, noms gallo". Geobreizh. 2013年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月18日閲覧。
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=19118
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr