ルドルフ・マリア・ハプスブルク=ロートリンゲン
表示
ルドルフ Rudolf | |
---|---|
ハプスブルク=ロートリンゲン家 | |
2014年、洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネ教会にて | |
全名 |
一覧参照
|
称号 | オーストリア大公 |
出生 |
1950年11月17日(74歳) ベルギー、エノー州、ブロイユ城 |
配偶者 | エレーヌ・ド・ヴィランファーニュ・ド・ヴォジェルサンク |
子女 |
一覧参照
|
父親 | カール・ルートヴィヒ・ハプスブルク=ロートリンゲン |
母親 | ヨランド・ド・リーニュ |
役職 |
フィラントロポス財団会長 Triple A Gestion SA代表 |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
ルドルフ・ハプスブルク=ロートリンゲン(ドイツ語: Rudolf Habsburg-Lothringen, 1950年11月17日 - )は、ハプスブルク=ロートリンゲン家の一員。最後のオーストリア皇帝・福者カール1世と皇后ツィタの孫にあたる。
経歴
[編集]1950年11月17日、オーストリア旧皇族カール・ルートヴィヒと、その妻ヨランド・ド・リーニュ(リーニュ公爵ウジェーヌ2世の娘)の第一子として生まれた。
ベルギーで育ち、銀行家になった[1]。
スイス・フリブール州に位置する、スイスの登録文化財であるシャトー・ド・トルニーに、25年以上居住している[1][2]。ハプスブルク家の代表者として、皇后ツィタの列福プロセスに関与している[3]。
2014年4月、チェコ・ブルノの洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネ教会が、福者カール1世の遺髪を聖遺物として取得した[4]。ルドルフはその式典に孫として参列し、フランス語で2時間にわたり祖父母について講義した[4]。
家族
[編集]妻エレーヌ(ヴィランファーニュ・ド・ヴォジェルサンク男爵家出身)との間に、8人の子女を儲けた。8人のうちのヨハネス、トーマス、マリー、ヨーゼフの4人がEucharisteinのメンバーになっている[3]。
- カール・クリスティアン(1977年 - )- 2007年、エステル・ド・サン=ロマンと結婚
- プリシラ(1979年 - )
- ヨハネス(1981年 - )- 2018年6月16日より、カトリックの司祭(独:Priester、仏:Prêtre)[5]
- トーマス(1983年 - )
- マリー=ド=ネージュ(1986年 - )
- フランツ=ルートヴィヒ(1988年 - )- 2018年、マティルド・ヴィニョンと結婚
- ミヒャエル(1990年 - )
- ヨーゼフ(1991年 - )
出典
[編集]- ^ a b Patrick Mülhauser (2016年7月3日). “Erzherzog Rudolf von Österreich: «Wir leben um zu dienen»”. スイス放送協会 2018年12月6日閲覧。
- ^ Stéphane Sanchez (2015年7月29日). “La vie de château par choix familial”. La Liberté 2018年12月6日閲覧。
- ^ a b “Prayers — and Royalty — Never Die: The Habsburg Dynasty”. ナショナル・カトリック・レジスター. (2019年10月21日) 2019年12月30日閲覧。
- ^ a b JIŘÍ HANÁK (2014年4月15日). “Do Brna přijel vnuk posledního císaře. Uložit relikvii”. Brněnský deník 2018年12月6日閲覧。
- ^ Vianney de Villaret (2018年6月18日). “Un membre de la famille impériale des Habsbourg ordonné prêtre”. Aleteia 2019年12月31日閲覧。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、ルドルフ・マリア・ハプスブルク=ロートリンゲンに関するカテゴリがあります。