レオポルド・ロペス
レオポルド・エドゥアルド・ロペス・メンドーサ Leopoldo Eduardo López Mendoza | |
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レオポルド・ロペス(2012年撮影) | |
生年月日 | 1971年4月29日(53歳) |
出生地 | ベネズエラ・カラカス |
出身校 | ハーバード大学大学院ケネディスクール |
所属政党 |
(正義第一党→) 大衆意思党 |
配偶者 | リリアン・ティントリ |
親族 |
クリストバル・メンドーサ(5代前の先祖) シモン・ボリバル(5代前の先祖の弟) エドゥアルド・メンドーサ(祖父) |
チャカオ市市長 | |
在任期間 | 2000年7月 - 2008年12月9日 |
レオポルド・エドゥアルド・ロペス・メンドーサ(スペイン語: Leopoldo Eduardo López Mendoza、1971年4月29日 -)は、ベネズエラの政治家。2000年から2008年にかけてチャカオ市市長を務めた。ウゴ・チャベスやニコラス・マドゥロの反米左翼政権に対する反体制派で、野党連合民主統一会議に参加する中道政党大衆意思党を創設した。2014年に反政府デモを扇動したとして投獄された。2017年からは自宅軟禁に切り替えられた。2019年4月30日に軟禁状態を逃れてスペイン大使公邸に移った。現在もスペイン大使公邸に滞在している。
2019年に暫定大統領を宣言したフアン・グアイドは彼の弟子として政界入りした人物である。
来歴
[編集]1971年4月29日にベネズエラ首都カラカスの名家に生まれる。母アントニータ・メンドーサ・デ・ロペス(Antonieta Mendoza de Lópe)は、農業相エドゥアルド・メンドーサ・ゴイティコアの娘で巨大メディアシスネロス・グループの重役だった。 父のレオポルド・ロペス・ギル(Leopoldo López Gil)はレストラン経営者でエル・ナシオナルの編集委員だった[1]。
母方のメンドーサ家はベネズエラ屈指の名門家であり、彼はベネズエラ第一共和国大統領クリストバル・メンドーサの直系子孫(来孫)にあたる。またベネズエラ第二共和国・ベネズエラ第三共和国・大コロンビア大統領シモン・ボリバルの姉フアナ・ボリバル・パラシオスの直系子孫(来孫)でもある[2]。父方の祖父レオポルド・ロペス・オルテガ(Leopoldo López Ortega)と大伯父ラファエル・エルネスト・ロペス・オルテガ(Rafael Ernesto López Ortega)は、サンバーナーディノ中央病院(Centro Medico of San Bernardino)の創設者として著名な医者だった。ラファエルはエレアサル・ロペス・コントレーラス大統領の下で教育相も務めていた[3]。
アメリカ合衆国・ニュージャージー州のハン・スクール・オブ・プリンセトン[4]、オハイオ州のケニオン大学[5]、ハーバード大学大学院のケネディスクールを卒業し、1996年に公共政策修士を取得した[6]。
1996年から1999年にかけてPDVSAでアナリスト、コンサルタントとして働いた。またカトリカ・アンドレス・ベジョ大学経済学部で制度派経済学の教授を務めた[6]。
学生時代の1992年にフリオ・ボルヘスらとともに中道右派政党正義第一党の共同創設者となる[7][8]。後に正義第一党を去り、正義第一党より左寄りで社会主義インターナショナルに加盟する中道政党大衆意思党を創設した[9]。
2000年に51%の得票を得てチャカオ市の市長に当選。2004年の選挙でも81%の得票を得て再選された[3]。しかし2008年4月には検察の裁定により「汚職を働いた」とされて11月の市長選挙に立候補することを禁じられた[10]。この時ロペスの他にも数百人の政治家を対象に立候補禁止が行われたが、そのうち80%が野党の政治家だった[11]。立候補を禁じられた政治家の中でも特に著名な政治家だったロペスは、裁定に異議を唱えた[11]。ロペスはウゴ・チャベス政権が地方選挙に野党が勝利しそうな情勢なので政治弾圧を強行したと批判した[11]。ロペスは米州人権委員会に提訴を行い、勝訴したものの[12]、ベネズエラ最高裁はその判決に従わなかった。
2009年12月5日には、大衆意思党を創設し、「エリート間の合意や交渉によってではなく、ボトムアップからの新しい多数派を形成する。長い道のりだが、これが私たちの勝利の唯一の道である」と述べた[13]。
2014年2月12日以降、首都カラカスを中心に国中でニコラス・マドゥロの退陣を求める抗議デモが発生。ロペスは反政府デモを扇動したとされて、2月18日に逮捕され[14]、2015年に国家扇動罪で14年近い禁固刑を受けて軍刑務所に投獄された[15]。この判決の際ロペスは裁判官に「有罪判決ならば、判決を聞く私よりそれを読み上げる貴方の方が恐怖を感じるはずだ。貴方は私が無実だと知っているのだから」と述べたという[16]。
獄中の夫に代わって妻のリリアン・ティントリが反政府デモの先頭に立つようになった[16]。
2017年7月に「健康上の理由」として釈放され、自宅軟禁に切り替えられた[15]。政治犯の象徴だったロペスを釈放することで政府批判の高まりを和らげたいというマドゥロ政権の意向が働いたと見られている[17]。
しかし同年8月1日には前カラカス市長アントニオ・レデスマとともに再度拘束された[18]。ロペスがその直前にインターネットに投降した動画の中で「マドゥロ氏の狙いは民主主義を転覆し国民に絶対服従を強いることだ」と抗議を呼びかけていたためとみられる[19]。8月5日には再度釈放され、再び自宅軟禁となった[20]。
2019年1月に暫定大統領に就任宣言したフアン・グアイドはロペスの弟子として政界入りした人物である[22]。2019年にロペスはグアイドを国民議会で大衆意思党を率いる指導者に指名した[23]。
2019年4月30日に自宅軟禁を逃れてチリ大使館に身を寄せ、その後スペイン大使館へ移った。チリ外相によればロペスは亡命を望んでいるわけではないという[24]。マドゥロ政権はスペイン政府に対してロペスの身柄引き渡し請求を行ったが、5月2日にスペイン政府は「いかなる状況においても、レオポルド・ロペス氏をベネズエラ当局に引き渡すことも、大使公邸を立ち去るよう求めることも想定していない」と身柄引き渡しを拒否する声明を出した[25]。
マドゥロ政権は、ベネズエラ情報機関SEBIN長官マヌエル・クリストファー・フィゲラがロペスを解放した人物と見てフィゲラを解任した。これに対してマドゥロ政権高官に経済制裁を科しているアメリカ政府は、5月7日にもフィゲラについて経済制裁を解除した[26]。
2020年10月23日にスペイン大使館を離れコロンビアに入国、その後スペインのマドリードに向かう[27]。
出典
[編集]- ^ Lovato, Roberto (27 July 2015). “The Making of Leopoldo López”. Foreign Policy 9 December 2015閲覧。.
- ^ Halvorssen, Thor (14 March 2012). “Hugo Chavez channels the dead”. Pittsburgh Post Gazette 10 May 2012閲覧。
- ^ a b Stevens, Andrews (4 July 2008). “Kidnapped and shot at, a Venezuelan mayor opposes country’s president”. City Mayors: Former Mayors. 7 June 2017閲覧。
- ^ Elizabeth Llorente (2 April 2014). “Former U.S. Classmates Rally For Jailed Venezuelan Opposition Leader Leopoldo Lopez”. Fox News 6 June 2017閲覧。
- ^ Curran, Hannah (15 November 2012). “Leo Lopez: Kenyon grad, Venezuelan politician”. Kenyon Collegian. 5 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。7 June 2017閲覧。
- ^ a b Leopoldo López Mendoza”. Oficina del Alcalde, Chacao. 31 December 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。9 September 2008閲覧。 “
- ^ Muñoz, Ingrid Núñez and Nury Pineda Morán (January–June 2003) (PDF). Nuevos Partidos, Nuevos Liderazgos: Primero Justicia. Cuestiones Políticas. IEPDP-Facultad de Ciencias Jurídicas y Políticas - LUZ. pp. 45–74. ISSN 0798-1406 19 October 2010閲覧。.
- ^ “Un Nuevo Tiempo juramentó nueva comisión política”. Venevisión. (3 March 2007). オリジナルの24 July 2011時点におけるアーカイブ。 7 June 2017閲覧。
- ^ Hylton, Wil S. (9 March 2018). “Leopoldo López Speaks Out, and Venezuela’s Government Cracks Down”. The New York Times 16 March 2018閲覧。
- ^ de Córdoba, José and Darcy Crowe (6 August 2008). “In Enacting Decrees, Chávez Makes New Power Grab”. Wall Street Journal 8 August 2008閲覧。
- ^ a b c Ingham, James (27 June 2008). “Testing Times Ahead for Chavez”. BBC News 22 July 2008閲覧。
- ^ Rueda, Jorge (16 September 2011). “Rights court sides with Chavez opponent”. Yahoo (Associated Press) 7 June 2017閲覧。
- ^ “Leopoldo López lanza movimiento Voluntad Popular en Carabobo”. El informador. (5 December 2009). オリジナルの16 July 2011時点におけるアーカイブ。 7 June 2017閲覧。
- ^ “ベネズエラで物不足深刻 チャベス氏死去1年、デモで死者も”. 日本経済新聞. (2014年3月5日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ a b “帰ってきた、ベネズエラの野党指導者ロペス”. Newsweek. (2017年8月1日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ a b ““南米の北朝鮮?”ベネズエラで反政府デモ率いる美人活動家…命賭けた「夫婦愛」の行く末”. 産経新聞. (2016年9月25日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ “野党指導者ロペス氏が刑務所から自宅軟禁に”. 毎日新聞. (2017年7月9日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ “ベネズエラ当局、野党指導者2人の身柄拘束 家族が明かす”. AFP. (2017年8月1日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ “ベネズエラの反体制指導者2人、自宅から連行”. CNN. (2017年8月1日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ https://edition.cnn.com/2017/08/06/americas/venezuela-leopoldo-lopez-release/index.html
- ^ Bertotelli, J.R. (15 June 2018). “Leopoldo López está nominado al Nobel de la Paz”. El Pitazo
- ^ Chavez, Nicole and Rafael Romo (24 January 2019). “Who is Venezuela's Juan Guaido?”. CNN 27 January 2019閲覧。
- ^ Parkin Daniels; Joe and Mariana Zúñiga (15 January 2019). “Who is Juan Guaidó, the opposition leader challenging Maduro's rule?”. The Guardian 27 January 2019閲覧。
- ^ “ベネズエラ野党指導者ロペス氏、チリ大使館経由でスペイン大使館の保護下に”. AFP. (2019年5月1日) 2019年5月7日閲覧。
- ^ “スペイン政府、ベネズエラ野党指導者の身柄引き渡し拒否”. AFP. (2019年5月3日)
- ^ “米、ベネズエラ要人に離反期待 野党支持なら不問”. 日本経済新聞. (2019年5月8日) 2019年5月14日閲覧。
- ^ “ベネズエラの野党指導者、秘密裏に出国しスペインへ”. AFP BB news. (2020年10月25日) 2020年10月25日閲覧。