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レオ・ガメス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レオ・ガメス
基本情報
本名 シルヴィオ・ラファエル・ガメス
通称 Torito
階級 バンタム級
身長 152.5cm[文献 1]
リーチ 161cm
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
誕生日 (1963-08-08) 1963年8月8日(61歳)
出身地 サン・ファン・デ・ロス・モーロス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 48
勝ち 35
KO勝ち 26
敗け 12
引き分け 1
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レオ・ガメスLeo Gámez1963年8月8日 - )は、ベネズエラ男性プロボクサーサン・ファン・デ・ロス・モーロス出身。史上初めて最軽量級からの4階級制覇と同一団体(=WBAのみ)の世界4階級制覇を達成した。

本名はシルヴィオ・ラファエル・ガメス。スペイン語で「ライオン」を意味するリングネームの"レオ"は母親の姓から取った。

来歴

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1985年2月14日、プロデビュー。

1987年4月30日、13戦目でベネズエラライトフライ級王座獲得。8月22日には初防衛に成功。

1988年1月10日、世界初挑戦。空位のWBA世界ミニマム級王座を金奉準大韓民国の旗 韓国)と争い、12回判定勝ち。17戦目にして無敗のまま世界王者となった。4月24日の初防衛戦で日本のリングに初登場。東京後楽園ホール横沢健二日本の旗 日本/三迫)と対戦し、3回TKO勝ち[文献 1]。王座防衛に成功するが、この試合以降、1年半試合から遠ざかり、王座も返上する。

1990年4月29日、2階級制覇を目指し世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王座を14度防衛中の柳明佑大韓民国の旗 韓国)に挑む。再三にわたり王者を苦しめたが、12回判定負けで偉業達成ならず。また、デビュー以来の連勝も20でストップした。11月10日、柳に再挑戦するが、ここでも12回判定負けを喫した。

1991年10月5日、フライ級での世界挑戦。WBA世界同級王者金容江大韓民国の旗 韓国)に挑むが、ここでも12回判定負けを喫した。

1993年10月21日、日本で2度目の試合(後楽園ホール)。柳の引退・王座返上で空位となったWBA世界ライトフライ級王座を八尋史朗日本の旗 日本/帝拳)と争い、9回TKO勝ち。2階級制覇を達成する[文献 2]。その後、1つの引き分けを含み3度の防衛に成功。

1995年2月4日、4度目の防衛戦で元WBA世界ミニマム級王者崔煕庸大韓民国の旗 韓国)と対戦し、12回判定負け。王座から陥落。

1995年5月20日、再起戦でWBAラテンアメリカフライ級王座決定戦に出場。同国人の元WBA世界フライ級王者アキレス・グスマンを12回判定に降し、王座獲得。9月18日には初防衛に成功。

1996年3月23日、WBAラテンアメリカ王座在位のまま世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プルンチットタイ王国の旗 タイ)に挑むが、12回判定負けで王座奪取ならず。

1996年10月7日、WBAラテンアメリカ王座2度目の防衛戦でグスマンと再戦し、12回判定負けを喫し、王座から陥落。その後、2年間リングから遠ざかる。

1998年10月3日、2年ぶりの復帰戦でWBAラテンアメリカ王座再挑戦。同国人のヒルベルト・ゴンザレスを8回KOに降し、王座復帰を果たした。

1999年3月13日、通算12度目の世界戦。WBA世界フライ級王者ウーゴ・ソトアルゼンチンの旗 アルゼンチン)に挑み、3回TKO勝ち。ストロー級王座獲得から11年を経て、3階級制覇を達成。

1999年5月29日、WBA世界フライ級王座在位のままWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦に出場。元WBO世界ライトフライ級王者ホセ・カマーチョプエルトリコの旗 プエルトリコ)を8回TKOに降し、これで4階級制覇達成。なお、この王座はすぐに返上。

1999年9月3日、WBA世界フライ級王座初防衛戦。ソーンピチャイ・クラティンデーンジムタイ王国の旗 タイ)に8回KOで敗れ、王座陥落。この試合がプロデビュー以来、初のKO負けとなった。その後、1年余りのブランク。

2000年10月9日、3度目の日本での試合。名古屋愛知県体育館でWBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹日本の旗 日本/)に挑み、7回KO勝ち。これで正規世界王座4階級制覇を達成[文献 3]

2001年3月11日、初防衛戦(4度目の日本での試合=横浜アリーナ)でセレス小林日本の旗 日本/国際)と対戦し、10回TKO負け。王座から陥落した[文献 4]

2002年11月8日、シュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズオスカー・デ・ラ・ホーヤ(いずれもアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に次ぐ4人目の5階級制覇を懸け、WBA世界バンタム級王者ジョニー・ブレダル デンマーク)に挑むも、12回判定負け。

2003年10月4日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦に出場(5度目の日本での試合=東京・両国国技館)。3年前にスーパーフライ級王座を奪取した戸高と再戦するが、12回判定負け。3年前の雪辱を許す。

2005年12月22日、プーンサワット・クラティンデーンジムタイ王国の旗 タイ)が持つWBA世界バンタム級暫定王座に挑むも12回判定負け。この試合を最後に現役を引退した。

通算戦績

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48戦35勝(26KO)12敗1分。WBA世界王座4階級制覇達成

参考文献

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  • ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  1. ^ a b 27頁上段
  2. ^ 69頁下段
  3. ^ 147頁上段
  4. ^ 148頁上段

関連項目

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外部リンク

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前王者
階級新設
WBA世界ミニマム級王者

1988年1月10日 - 1988年4月24日

次王者
金奉準
前王者
柳明佑
WBA世界ライトフライ級王者

1993年10月21日 - 1995年2月4日

次王者
崔煕庸
前王者
ウーゴ・ソト
WBA世界フライ級王者

1999年3月13日 - 1999年9月3日

次王者
ソーンピチャイ・クラティンデーンジム
暫定王座決定戦 対戦者
ホスエ・カマチョ
WBA世界スーパーフライ級暫定王者
1999年5月29日 - 1999年(返上)
次暫定王者
返上により消滅
前王者
戸高秀樹
WBA世界スーパーフライ級王者

2000年10月9日 - 2001年3月11日

次王者
セレス小林