レゾリューション (戦艦・2代)

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基本情報
艦歴
起工 1913年11月29日
進水 1915年1月14日
就役 1916年12月30日
その後 1948年5月5日にスクラップとして売却
要目
排水量 基準:29,150トン
満載:33,500トン
全長 620 ft 5 in (189 m)
最大幅 102 ft 5 in (31 m)
吃水 30 ft 5 in (9.3 m)
最大速力 23ノット (43 km/h)
乗員 1,009 - 1,146名
兵装 竣工時:
38.1cm42口径MkI連装砲 4基
15.2cm45口径MkXII単装砲 12基
10.2cm50口径MkXVI連装高角砲 4基
2ポンド8連装ポンポン砲 2基
12.7㎜4連装機銃 2基
カタパルト 1基
水偵 1機

~1944年:
38.1cm42口径MkI連装砲 4基
15.2cm45口径MkXII単装砲 10基
10.2cm50口径MkXVI連装高角砲 4基
2ポンド8連装ポンポン砲 2基
2ポンド4連装ポンポン砲 2基
20㎜単装機銃 10基
航空兵装無し
レーダー 竣工時:
無し

~1944年:
273型 1基
279型 2基
285型 2基
284型 1基
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レゾリューション (HMS Resolution)は、イギリス海軍第一次世界大戦第二次世界大戦で運用した戦艦[1]リヴェンジ級戦艦(いわゆるR級戦艦)の1隻である[注釈 1]

艦歴[編集]

Palmersで1913年11月29日起工。1915年1月14日進水。1916年12月30日就役。海軍休日時代、地中海艦隊所属の時期もあった。1930年代中盤、イタリア王国エチオピア帝国との緊張が高まると、本艦も地中海でイタリア海軍を牽制した(第二次エチオピア戦争[3]

1940年4月以降、ノルウェーの戦いに従事する。5月16日、ナルヴィクドイツ空軍第30爆撃航空団に所属するJu 88から爆撃を受け、250㎏爆弾が命中して小破した。

修理後、ジブラルタルを拠点に活動するH部隊に配備される。7月初旬、ジェームズ・サマヴィル提督(旗艦「フッド」)の指揮下で、オランに停泊するフランス海軍ダンケルク級戦艦プロヴァンス級戦艦艦砲射撃をおこない、戦艦「ブルターニュ」を撃沈するなどの戦果を挙げた[4]

9月、ダカール攻撃(メナス作戦)に参加。9月6日に空母「アーク・ロイヤル」などとともにジブラルタルから出撃し、9月13日に上陸部隊を乗せた船団と合流して9月23日にダカール沖に到着した[5]。戦艦「バーラム」などと共に、ヴィシー軍英語版の砲台や、同港在泊中のフランス戦艦リシュリュー」と交戦する。 23日、24日と攻撃が行われたが、成果は芳しくなかった。そして25日、砲撃場所に向かっていた本艦はフランス潜水艦ベヴェジエ英語版フランス語版の魚雷攻撃を受けた。魚雷は4本発射され、うち1本が左舷中央部に命中した[6]。被雷により左舷のボイラー室が浸水し、傾斜して主砲が使用不能となった[6]。また、別のボイラー室で火災が発生し、注水することで消火された[7]。これらの結果、速度は12ノットに低下した[8]。この「レゾリューション」の損傷により作戦は中止となった。本艦は旗艦「バーラム」に曳航されて9月29日にフリータウンにたどり着いた[8]1941年3月、アメリカ合衆国東海岸フィラデルフィア海軍造船所で修理と改装をおこなう。9月下旬、アメリカで修理中だった僚艦(ロドニーマレーヤ)などと共に戦線に復帰した[9]

1942年になると東洋艦隊は根拠地をシンガポール[注釈 2]からセイロン島に、続いてアッドゥ環礁へ移した。R級戦艦は東洋艦隊に配備され、日本海軍南雲機動部隊インド洋で対峙した。3月のセイロン沖海戦時、東洋艦隊は戦艦「ウォースパイト」とイラストリアス級航空母艦を基幹とするサマヴィル提督直率のA部隊、R級戦艦4隻(レゾリューション、リヴェンジ、ラミリーズ、ロイヤル・ソブリン)と軽空母「ハーミーズ」を基幹とするアルジャーノン・ウィリス提督のB部隊に別れて行動した。南雲機動部隊の脅威がなくなり、「ウォースパイト」がヨーロッパに戻ると、「レゾリューション」は東洋艦隊の旗艦となった。

1944年練習艦となり、1948年5月5日、スクラップとして売却された。

ギャラリー[編集]

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 戰艦“レゾルーション Resolution[2] 全要目{排水量29,150噸 速力23節 備砲38糎砲8門 15糎砲12門 魚雷發射管2門(水中53糎) 起工1913年11月 竣工1916年12月 建造所パルマース造船會社} 同型艦“ローヤルゾヴリン Royal Sovereign” レヴエンジ Revenge” “ローヤルオーク Royal Oak” ラミリーズ Ramillies
    これ等の戰艦は何れも1913年乃至14年に起工され1916年乃至17年に竣工した所謂R級戰艦といつたもので、世界大戰に参加して輝しい偉勲を樹てゝゐる。その後約6箇年は主力艦建造に一頓挫を來し1922年久振りに“ネルソン”を起工した。華府條約時代英國はこれら戰艦の近代化に大いに心を用ひ、そればかりやつてゐたといつてもよい。全長188.98米、幅31.21米、平均吃水8.14米。兵装として上記の外に10糎高角砲4門、3ポンド砲4門、その小砲16門を有す。搭載飛行機1機、燃料は重油専燃、軸馬力40,000馬力。
  2. ^ 日本軍のマレー作戦により、1942年2月15日に陥落した。

脚注[編集]

  1. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 77(原本136-137頁)戰艦レゾルーション
  2. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 71(原本124-125頁)戰艦レゾルーション
  3. ^ 地中海の制海權を繞り 英・伊海軍の情勢緊迫 無敵艦隊・英の威容 命令一下出動の待機”. Hoji Shinbun Digital Collection. Burajiru Jihō, 1935.09.21. pp. 01. 2024年5月12日閲覧。
  4. ^ 戰闘尚繼續 "英側にも損害多大"”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1940.07.04. pp. 01. 2024年5月12日閲覧。
  5. ^ Battleships at War, p.87
  6. ^ a b Battleships at War, p.91
  7. ^ Battleships at War, pp.91-92
  8. ^ a b Battleships at War, p.92
  9. ^ 米國で修理の英艦十二抜錨”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1941.09.25. pp. 02. 2024年5月12日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第67集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
  • Peter C. Smith, Battleships at War: HMS Royal Sovereign and Her Sister Ships, Pen & Sword Maritime, 2009, ISBN 978-1-84415-982-6

外部リンク[編集]