ロザス包囲戦 (1719年)
ロザス包囲戦 | |
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戦争:四国同盟戦争 | |
年月日:1719年10月22日 - 11月17日 | |
場所:スペイン王国、カタルーニャ、ロザス | |
結果:スペインの勝利 | |
交戦勢力 | |
スペイン王国 | フランス王国 |
指導者・指揮官 | |
ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ | |
ロザス包囲戦(ロザスほういせん、カタルーニャ語: Setge de Roses)は四国同盟戦争中の1719年10月22日から11月17日にかけて、フランス軍がカタルーニャのロザスを包囲した戦闘。
背景
[編集]1719年、ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ率いるフランス軍はバスク州に侵攻した。侵攻の初期にはフランス軍は抵抗を受けなかったが、すぐに撤退を余儀なくされた。同年10月、イギリス艦隊はビーゴとポンテベドラを占領(ビーゴ占領も参照)、オーストリア軍もメッシーナを包囲の後落とした。フランス軍は8月31日にラ・セウ・ドゥルジェイを占領した。
包囲
[編集]ベリック公は歩兵40個大隊と騎兵60個中隊を率いて10月22日にラ・ブールーから進軍してカステリョー・ダンプリアスに到着、軍営を設けて[1]ロザス砦を包囲した[2]。
艦隊は11月1日に到着したが[1]、悪天候により輸送船の到着が遅れ、11月6日には補給と弾薬を載せた船が沈没した始末となった[1]。結局、ベリック公は17日に包囲を解かざるを得なかった[3][4]。
影響
[編集]バリュスはペレ・ジョアン・バルセロ(「カラスレット」(Carrasclet)とも呼ばれる)の攻撃を撃退したが、これはカタルーニャ警察の目の敵であるヴェシアナ家(Veciana)の民兵隊のおかげだった[5]。一方、フランセス・ベルニクの派遣隊はラ・リャクナでヨゼプ・アントン・マルティに捕虜にされた[6]。秋に戦役が終わると、フランス軍はさらなる戦役に備えるためにルシヨンへと戻った。スペインのヴェルボーム侯爵は1720年1月22日にラ・セウ・ドゥルジェイを包囲、戦争終結の数日前である1月29日に同地をフランス軍から奪回した[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c de Fitz-James Berwick 1778, p. 205.
- ^ Russell, John (1826). J. Murray. ed (英語). History of the principal states of Europe from the peace of Utrecht. vol.2. p. 145
- ^ Plantavit de la Pause, Guillaume (1738) (英語). The life of James Fitz-James, duke of Berwick. p. 472
- ^ de Fitz-James Berwick 1778, p. 206.
- ^ Catalunya Ràdio, Programa en Guàrdia (9 December 2007). "186 - Pere Joan Barceló "Carrasclet"". catradio.cat (Podcast). 2010年1月9日閲覧。
- ^ Arnabat i Mata, Ramon (1997). Publicacions de l'Abadia de Montserrat. ed. Moviments de protesta i resistència a la fi de l'Antic Règim. p. 72. ISBN 8478268758
- ^ (英語) The Royal Engineers Journal. 13. (1911). p. 453 2013年6月24日閲覧。.
参考文献
[編集]- de Fitz-James Berwick, Jacques (1778) (フランス語). Mémoires, écrits par lui-même