ロザンナ・デ・ロス・リオス
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ロザンナ・デ・ロス・リオス | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | パラグアイ | |||
出身地 | アスンシオン | |||
生年月日 | 1975年9月16日(49歳) | |||
身長 | 170cm | |||
体重 | 55kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1989年 | |||
引退年 | 2010年 | |||
ツアー通算 | 0勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 566勝454敗 | |||
シングルス | 447勝314敗 | |||
ダブルス | 119勝140敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,077,550 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 2回戦(2001・02) | |||
全仏 | 4回戦(2000) | |||
全英 | 2回戦(2002・09) | |||
全米 | 2回戦(2002・08) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(2002・03) | |||
全仏 | 2回戦(2003・08) | |||
全英 | 1回戦(2002・03) | |||
全米 | 2回戦(2002) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 51位(2001年11月12日) | |||
ダブルス | 52位(2003年5月12日) | |||
ロザンナ・デ・ロス・リオス(Rossana de los Ríos、1975年9月16日 - )は、パラグアイ・アスンシオン出身の女子プロテニス選手。
パラグアイが1991年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップに参加し始めた時の、最初のメンバーの1人でもある。
4大大会では、2000年の全仏オープンで女子シングルス4回戦進出がある。自己最高ランキングはシングルス51位、ダブルス52位。
来歴
[編集]1989年に14歳でプロ入りし、女子ツアー下部組織の大会を回り始める。1991年にパラグアイのフェデレーションカップ初参加が実現し、同じ年であるロザンナ・デ・ロス・リオスとラリサ・シェーラー(Larissa Schaerer)の2人が最初のパラグアイ代表選手に選ばれた。1992年に全仏オープンのジュニア女子シングルス部門で優勝。1993年の全仏オープンで4大大会予選会に初出場し、8月にパラグアイ人女性として初の世界ランキングトップ100位以内に入る。その後1993年全米オープンと1994年全豪オープンで本戦に直接出場するが、ともに1回戦で敗退した。1994年4月を最後にツアー転戦から離れ、12月26日にプロサッカー選手のグスタボ・ネファと結婚する。1997年1月17日にひとり娘が誕生し、デ・ロス・リオスは5年間女子プロテニスツアーから遠ざかった。
娘が2歳半になり、デ・ロス・リオスは1999年6月から5年ぶりにツアーへ復帰した。1年後の2000年全仏オープンは、彼女にとっては1994年全豪オープン以来6年ぶりの4大大会出場で、復帰後初めての挑戦だった。デ・ロス・リオスは予選3試合を勝ち抜き、一気に本戦4回戦まで勝ち進んだ。3回戦でアマンダ・クッツァー(南アフリカ)を 7-5, 6-7, 6-4 で破った勝利の後、4回戦でマルタ・マレーロ(スペイン)に 6-4, 0-6, 4-6 の逆転で敗れた。これは現在においても、パラグアイ人女性による4大大会シングルスの最高成績である。この後、彼女は2003年ウィンブルドンまで「14大会」連続で4大大会シングルス本戦に出場し、2002年はすべて初戦を突破する好調さを見せた。ところが、2003年全米オープンで予選2回戦敗退に終わった後、彼女に再び長期間の低迷が訪れた。
デ・ロス・リオスは2007年、13年ぶりにフェドカップのパラグアイ代表選手に復帰した。2008年に入り、再び彼女のツアー成績は復調に向かう。全仏オープン1回戦ではマルタ・ドマホフスカ(ポーランド)に 6-3, 3-6, 1-6 で敗れ、ウィンブルドンでは1回戦で第1シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)と顔を合わせた。全米オープンにおいて、ロザンナ・デ・ロス・リオスは6年ぶりの初戦突破を果たし、2回戦で第7シードのビーナス・ウィリアムズに 0-6, 3-6 で敗れる。2009年にはウィンブルドンで7年ぶり2度目の2回戦に進み、第1シードのディナラ・サフィナ(ロシア)に 3-6, 5-7 で敗れた。
デ・ロス・リオスは1992年のバルセロナ五輪と2000年のシドニー五輪の2大会でオリンピックに出場している。16歳で初出場したバルセロナではラリサ・シェーラーと組んだダブルスに出場したが、初戦で敗退した。シドニーではシングルスに出場し、1回戦でクベタ・ヘルドリコバ(チェコ)を 6-3, 6-2 で破り、2回戦では第1シードのリンゼイ・ダベンポートが棄権したことにより3回戦に進出している。
デ・ロス・リオスは2010年全米オープンの予選1回戦で敗退した試合を最後に、公式試合から遠ざかっている。
WTAツアー決勝進出結果
[編集]ダブルス: 2回 (0勝2敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2002年5月20日 | マドリード | クレー | アランチャ・サンチェス・ビカリオ | マルチナ・ナブラチロワ ナターシャ・ズベレワ |
2–6, 3–6 |
準優勝 | 2. | 2002年9月14日 | バイーア | クレー | エミリー・ロワ | ビルヒニア・ルアノ・パスクアル パオラ・スアレス |
4–6, 1–6 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1993 | 1994 | 1995-1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 1R | A | A | 2R | 2R | 1R | A | A | A | A | LQ | 1R | 1R | 2–6 |
全仏オープン | LQ | A | A | 4R | 2R | 3R | 1R | LQ | A | A | 1R | 1R | 1R | 2R | 7–8 |
ウィンブルドン | LQ | A | A | 1R | 1R | 2R | 1R | A | A | A | LQ | 1R | 2R | 1R | 2–7 |
全米オープン | 1R | A | A | 1R | 1R | 2R | LQ | LQ | A | LQ | LQ | 2R | 1R | LQ | 2–6 |
外部リンク
[編集]- ロザンナ・デ・ロス・リオス - Olympedia
- ロザンナ・デ・ロス・リオス - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ロザンナ・デ・ロス・リオス - WTA
- ロザンナ・デ・ロス・リオス - ITF
- ロザンナ・デ・ロス・リオス - フェドカップ
- ロザンナ・デ・ロス・リオス - Tennis Temple