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ロザンナ・デ・ロス・リオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロザンナ・デ・ロス・リオス
Rossana de los Ríos
ロザンナ・デ・ロス・リオス
基本情報
国籍 パラグアイの旗 パラグアイ
出身地 アスンシオン
生年月日 (1975-09-16) 1975年9月16日(49歳)
身長 170cm
体重 55kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1989年
引退年 2010年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 566勝454敗
シングルス 447勝314敗
ダブルス 119勝140敗
生涯獲得賞金 $1,077,550
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2001・02)
全仏 4回戦(2000)
全英 2回戦(2002・09)
全米 2回戦(2002・08)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2002・03)
全仏 2回戦(2003・08)
全英 1回戦(2002・03)
全米 2回戦(2002)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 51位(2001年11月12日)
ダブルス 52位(2003年5月12日)

ロザンナ・デ・ロス・リオス(Rossana de los Ríos、1975年9月16日 - )は、パラグアイアスンシオン出身の女子プロテニス選手。

パラグアイが1991年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップに参加し始めた時の、最初のメンバーの1人でもある。

4大大会では、2000年全仏オープンで女子シングルス4回戦進出がある。自己最高ランキングはシングルス51位、ダブルス52位。

来歴

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1989年に14歳でプロ入りし、女子ツアー下部組織の大会を回り始める。1991年にパラグアイのフェデレーションカップ初参加が実現し、同じ年であるロザンナ・デ・ロス・リオスとラリサ・シェーラー(Larissa Schaerer)の2人が最初のパラグアイ代表選手に選ばれた。1992年全仏オープンのジュニア女子シングルス部門で優勝。1993年全仏オープンで4大大会予選会に初出場し、8月にパラグアイ人女性として初の世界ランキングトップ100位以内に入る。その後1993年全米オープン1994年全豪オープンで本戦に直接出場するが、ともに1回戦で敗退した。1994年4月を最後にツアー転戦から離れ、12月26日にプロサッカー選手のグスタボ・ネファ英語版と結婚する。1997年1月17日にひとり娘が誕生し、デ・ロス・リオスは5年間女子プロテニスツアーから遠ざかった。

娘が2歳半になり、デ・ロス・リオスは1999年6月から5年ぶりにツアーへ復帰した。1年後の2000年全仏オープンは、彼女にとっては1994年全豪オープン以来6年ぶりの4大大会出場で、復帰後初めての挑戦だった。デ・ロス・リオスは予選3試合を勝ち抜き、一気に本戦4回戦まで勝ち進んだ。3回戦でアマンダ・クッツァー南アフリカ)を 7-5, 6-7, 6-4 で破った勝利の後、4回戦でマルタ・マレーロスペイン)に 6-4, 0-6, 4-6 の逆転で敗れた。これは現在においても、パラグアイ人女性による4大大会シングルスの最高成績である。この後、彼女は2003年ウィンブルドンまで「14大会」連続で4大大会シングルス本戦に出場し、2002年はすべて初戦を突破する好調さを見せた。ところが、2003年全米オープンで予選2回戦敗退に終わった後、彼女に再び長期間の低迷が訪れた。

デ・ロス・リオスは2007年、13年ぶりにフェドカップのパラグアイ代表選手に復帰した。2008年に入り、再び彼女のツアー成績は復調に向かう。全仏オープン1回戦ではマルタ・ドマホフスカポーランド)に 6-3, 3-6, 1-6 で敗れ、ウィンブルドンでは1回戦で第1シードのアナ・イバノビッチセルビア)と顔を合わせた。全米オープンにおいて、ロザンナ・デ・ロス・リオスは6年ぶりの初戦突破を果たし、2回戦で第7シードのビーナス・ウィリアムズに 0-6, 3-6 で敗れる。2009年にはウィンブルドンで7年ぶり2度目の2回戦に進み、第1シードのディナラ・サフィナロシア)に 3-6, 5-7 で敗れた。

デ・ロス・リオスは1992年のバルセロナ五輪と2000年のシドニー五輪の2大会でオリンピックに出場している。16歳で初出場したバルセロナではラリサ・シェーラーと組んだダブルスに出場したが、初戦で敗退した。シドニーではシングルスに出場し、1回戦でクベタ・ヘルドリコバチェコ)を 6-3, 6-2 で破り、2回戦では第1シードのリンゼイ・ダベンポートが棄権したことにより3回戦に進出している。

デ・ロス・リオスは2010年全米オープンの予選1回戦で敗退した試合を最後に、公式試合から遠ざかっている。

WTAツアー決勝進出結果

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ダブルス: 2回 (0勝2敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2002年5月20日 スペインの旗 マドリード クレー スペインの旗 アランチャ・サンチェス・ビカリオ アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
ベラルーシの旗 ナターシャ・ズベレワ
2–6, 3–6
準優勝 2. 2002年9月14日 ブラジルの旗 バイーア クレー フランスの旗 エミリー・ロワ スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
4–6, 1–6

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1993 1994 1995-1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 通算成績
全豪オープン A 1R A A 2R 2R 1R A A A A LQ 1R 1R 2–6
全仏オープン LQ A A 4R 2R 3R 1R LQ A A 1R 1R 1R 2R 7–8
ウィンブルドン LQ A A 1R 1R 2R 1R A A A LQ 1R 2R 1R 2–7
全米オープン 1R A A 1R 1R 2R LQ LQ A LQ LQ 2R 1R LQ 2–6

外部リンク

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