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ロジャー・マクダウェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロジャー・マクダウェル
Roger McDowell
オリオールズでのコーチ時代(2017年7月15日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1960-12-21) 1960年12月21日(64歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 MLBドラフト3巡目
初出場 1985年4月11日
最終出場 1996年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ロジャー・アラン・マクダウェルRoger Alan McDowell, 1960年12月21日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身の元(プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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現役時代

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1982年MLBドラフト3巡目(全体59位)でニューヨーク・メッツから指名され、プロ入り。マイナーリーグでは当初先発投手であったが、1984年に肘を痛め、リリーフに転向。この頃、後の決め球となるシンカーをマスターする。

1985年4月11日にメジャーデビューを果たし、当初は中継ぎとして起用されたが、シーズン中には左腕ジェシー・オロスコとのダブルストッパーに昇格。ルーキーイヤーのこの年は62試合に登板し、127回1/3を投げて6勝5敗17セーブ、防御率2.83の活躍。新人王は110盗塁のビンス・コールマンが獲得し、他にも20勝したトム・ブラウニングがいたため2位にもなれなかったが、例年ならば選ばれてもおかしくない成績であった。なお、この年2試合に先発しているが、キャリア中先発はこの2試合のみである。

メッツがワールドシリーズ優勝を果たした1986年は75試合、128回を投げて14勝9敗22セーブ、防御率3.02をあげる。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは、3勝3敗で迎えた最終第7戦では勝利投手となった。

1987年は序盤にヘルニアを患い、防御率4点台と苦しんだが自己最多の25セーブをあげる。しかし、セントルイス・カージナルスと地区優勝争いを繰り広げた終盤、9月11日の直接対決ではテリー・ペンドルトンに2ラン本塁打を喫し、地区優勝を逃すこととなった。

1988年はオロスコがロサンゼルス・ドジャースに移籍し、ランディ・マイヤーズとのツー・プラトンとなったが、この年メッツは100勝62敗をあげて地区優勝。マクダウェルも16セーブ、そして防御率2.63と好投。しかし、有利が予想されたドジャースとのナショナルリーグチャンピオンシップシリーズでは、2勝1敗とリードして迎えた第4戦にドワイト・グッデンマイク・ソーシアに同点本塁打を喫した後に登板。延長12回にカーク・ギブソンに決勝本塁打を喫する。シリーズは最終戦までもつれ込んだがドジャースに敗れ、ワールドシリーズ進出はならなかった。

1989年は序盤からリリーフ失敗を繰り返し、1勝5敗4セーブの時点で7月18日フアン・サミュエルとのトレードで、レニー・ダイクストラと共にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。これは、不可解なトレードの多いメッツにおいても失敗したトレードの一つとなった。サミュエルは残りシーズン打率.228の大不振で翌シーズン再び移籍。一方、ダイクストラはリーグを代表する一番打者に成長し、マクダウェルも1989年の残りシーズンは44試合の登板で3勝3敗19セーブ、防御率1.11と活躍。翌1990年は22セーブを挙げた。

1991年途中にドジャースへ移籍。1992年にはリリーフ失敗を繰り返し、6勝10敗14セーブ、防御率4.09という成績に終わる。ドジャースは1920年以降での最低勝率で、20世紀唯一の最下位に終わった。1993年以後は中継ぎでの起用が中心となり、1994年シーズン終了後にドジャースを解雇された。ドジャースで最後の2年間はメッツ時代のチームメイトであるキース・ヘルナンデスに敬意を払い、ヘルナンデスのメッツ時代の背番号「17」をつけた。他にロン・ダーリングボブ・オヘーダも同様のエピソードを持つ。

1995年にはテキサス・レンジャーズに移籍。翌1996年にはボルチモア・オリオールズに移籍する。ここでは、メッツ時代にダブルストッパーを組んだオロスコと再びチームメイトとなった。しかし、肩を故障し8月に手術。再び解雇され、1997年シカゴ・ホワイトソックスと契約するが、登板できないまま再度の手術を受ける。1998年もホワイトソックスのスプリングトレーニングに参加したが、シーズン開幕を前にして現役を引退した。

引退後

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アトランタ・ブレーブスでのコーチ時代
(2012年2月3日)

引退後はドジャースのマイナー担当コーチを務めた後、2006年からアトランタ・ブレーブスのコーチとなり、2016年まで務めた[1]2011年4月23日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦の試合前に、観客に対して同性愛者を忌み嫌う発言を行ったため、30日にMLB機構から2週間の謹慎処分を受けた。

2016年11月22日2017年シーズンよりオリオールズの投手コーチへの就任が発表され[2]2018年まで務めた。

人物

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いたずら好きで知られ、現役時代に下記のようなエピソードを残している。

全米放送の試合中、ベンチでわざと頭の上にパンツをかぶったり、スパイクを頭にのせたりしていたが、ダグアウトで爆竹に火をつけたりと時として度を越すことがあった。

ケルトとかつらといったユーモラスな扮装で、何度かMTVにも登場した。

シンシナティ・レッズの女性オーナーマージ・ショットが選手のイヤリングを禁止したことに抗議して、シンシナティでの試合でショーに登場したマリアッチ・バンドに、多数のイヤリングをつけた姿で混じっていたことがあった。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1985 NYM 62 2 0 0 0 6 5 17 -- .545 516 127.1 108 9 37 8 1 70 6 2 43 40 2.83 1.14
1986 75 0 0 0 0 14 9 22 -- .609 524 128.0 107 4 42 5 3 65 3 3 48 43 3.02 1.16
1987 56 0 0 0 0 7 5 25 -- .583 384 88.2 95 7 28 4 2 32 3 1 41 41 4.16 1.39
1988 62 0 0 0 0 5 5 16 -- .500 378 89.0 80 1 31 7 3 46 6 1 31 26 2.63 1.25
1989 25 0 0 0 0 1 5 4 -- .167 156 35.1 34 1 16 3 2 15 3 1 21 13 3.31 1.42
PHI 44 0 0 0 0 3 3 19 -- .500 231 56.2 45 2 22 5 1 32 0 0 15 7 1.11 1.18
'89計 69 0 0 0 0 4 8 23 -- .333 387 92.0 79 3 38 8 3 47 3 1 36 20 1.96 1.27
1990 72 0 0 0 0 6 8 22 -- .429 373 86.1 92 2 35 9 2 39 1 1 41 37 3.86 1.47
1991 38 0 0 0 0 3 6 3 -- .333 271 59.0 61 1 32 12 2 28 1 0 28 21 3.20 1.30
LAD 33 0 0 0 0 6 3 7 -- .667 174 42.1 39 3 16 8 0 22 1 0 12 12 2.55 1.58
'91計 71 0 0 0 0 9 9 10 -- .500 445 101.1 100 4 48 20 2 50 2 0 40 33 2.93 1.46
1992 65 0 0 0 0 6 10 14 -- .375 393 83.2 103 3 42 13 1 50 4 1 46 38 4.09 1.73
1993 54 0 0 0 0 5 3 2 -- .625 300 68.0 76 2 30 10 2 27 5 0 32 17 2.25 1.56
1994 32 0 0 0 0 0 3 0 -- .000 193 41.1 50 3 22 6 1 29 3 0 25 24 5.23 1.74
1995 TEX 64 0 0 0 0 7 4 4 -- .636 362 85.0 86 5 34 7 6 49 1 1 39 38 4.02 1.41
1996 BAL 41 0 0 0 0 1 1 4 -- .500 262 59.1 69 7 23 1 2 20 0 0 32 28 4.25 1.55
MLB:12年 723 2 0 0 0 70 70 159 -- .500 4517 1050.0 1045 50 410 98 28 524 37 11 454 385 3.30 1.39

年度別守備成績

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投手(P) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1985 NYM 62 17 27 4 2 .917 - -
1986 75 17 30 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 1 0 0 0 0 ----
1987 56 10 17 0 1 1.000 - -
1988 62 11 19 1 2 .968 - -
1989 25 10 12 1 2 .957 - -
PHI 44 7 13 2 1 .909 - -
'89計 69 17 25 3 3 .933 - -
1990 72 1 23 5 2 .828 - -
1991 38 4 17 3 2 .875 - -
LAD 33 4 8 0 1 1.000 2 0 0 0 0 ---- -
'91計 71 8 25 3 3 .917 2 0 0 0 0 ---- -
1992 65 8 21 3 2 .906 - -
1993 54 11 24 3 3 .921 - -
1994 32 2 7 0 0 1.000 - -
1995 TEX 64 8 20 1 3 .966 - -
1996 BAL 41 8 15 1 2 .958 - -
MLB 723 118 253 24 23 .939 3 0 0 0 0 ---- 1 0 0 0 0 ----

背番号

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  • 42(1985年 - 1989年途中)
  • 13(1989年途中 - 1991年)
  • 31(1992年、1995年 - 1996年)
  • 17(1993年 - 1994年)
  • 45(2006年 - 2016年)
  • 40(2017年 - 2018年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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