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ロッド・ディクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

ロッド・ディクソン
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
陸上競技
オリンピック
1972 ミュンヘン 男子1500 m

ロッド・ディクソン(Rodney ("Rod") Phillip Dixon、1950年7月13日 - )は、ニュージーランドの陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックの銅メダリストである。ネルソン出身。

経歴

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ディクソンは、ジョン・ウォーカーディック・クァックスと共に1970年代に活躍したニュージーランドの中距離界を代表する選手の一人である。ディクソンは、ウォーカーやクァックスよりも早くオリンピックで成果を残し、1972年のミュンヘンオリンピックの男子1500mで、フィンランドペッカ・バサラケニアキプチョゲ・ケイノに次いで銅メダルを手にしている。しかし、ミュンヘン大会後の活躍は、ほかの2人の活躍に押され気味であった。それでも、ディクソンは1500mで3分33秒9(1974年)、1マイルで3分53秒6(1975年)と印象に残る成績を残しており、1975年には、アメリカのトラック・アンド・フィールドニュースはディクソンを男子5000mの世界ランク1位としている。

ディクソンを語る上で忘れてはならないレースが2つある。まず、1974年のコモンウェルスゲームズの1500mである。ハイペースで進んだレースは、タンザニアフィルバート・バイが3分32秒2、ウォーカーが3分32秒5で共に世界新記録。3位のケニアのベン・ジプチョに次いで、ディクソンは3分33秒9の好タイムながらメダルを逃した。ディクソンはこれほど早いタイムで敗れたことはこれまで1度しかなかった。

もうひとつは、1976年モントリオールオリンピックの5000mである。このレースは、ラスト1周の鐘が鳴ると、フィンランドのラッセ・ビレンらと共にペースを上げていき、第4コーナー出口で4位だったディクソンは、西ドイツクラウス=ペーター・ヒルデンブラントを追い抜いてビレン、クァックスに次いで3位に浮上。しかし、追いすがるヒルデンブラントに残り5メートルで追いつかれ、最後はヒルデンブラントがゴールラインにダイビング。ディクソンは4位となり、2大会連続のメダルを逃した。

ディクソンは、現役中は1500mからマラソンまで非常に距離の柔軟性が高く、また、トラックのほかロード、クロスカントリーにも力を発揮した選手であった。1973年、1982年の世界クロスカントリー選手権で3位。1980年代はじめにはアメリカでのロードレースで多数勝利。1983年にはニューヨークシティマラソンで優勝(2時間8分59秒)も果たしている。

自己ベスト

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  • 400m - 49秒5
  • 800m - 1分47秒6 (1973年)
  • 1500m - 3分33秒89 (1974年)
  • 1マイル - 3分53秒62 (1975年)
  • 3000m - 7分41秒0 (1974年)
  • 3000mSC - 8分29秒0 (1973年)
  • 5000m - 13分17秒27 (1976年)
  • 10000m - 28分35秒69 (1981年)
  • マラソン - 2時間08分59秒(1983年)

主な実績

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大会 場所 種目 結果 記録
1972 オリンピック ミュンヘン(西ドイツ) 1500m 3位 3分37秒5
1974 コモンウェルスゲームズ クライストチャーチ(ニュージーランド) 1500m 4位 3分33秒9
1976 オリンピック モントリオール(カナダ) 5000m 4位 13分25秒50
1978 コモンウェルスゲームズ エドモントン(カナダ) 1500m 8位 3分41秒34
1978 コモンウェルスゲームズ エドモントン(カナダ) 5000m 8位 13分43秒69

外部リンク

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