ロバート・ベヴァン
ロバート・ベヴァン Robert Bevan | |
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1914年ころのロバート・ベヴァン | |
生誕 |
1865年8月5日 イギリス、ホヴ |
死没 |
1925年7月8日 (59歳没) イギリス、ロンドン |
ロバート・ベヴァン(Robert Polhill Bevan、1865年8月5日 - 1925年7月8日)は、イギリスの画家、版画家である。フランスで学び、ロンドンで美術家のグループの「カムデン・タウン・グループ」の芸術家の一人として活動し、ポスト印象派のスタイルの風景画などを描いた。
略歴
[編集]イングランド南東部のブライトンに近いホヴの街に生まれた。父親はクエーカーの銀行家であった[1]。ロンドンのウエストミンスター美術学校で学んだ後、パリに移り、アカデミー・ジュリアンに入学した。同時期の学生には、ポール・セリュジエ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニらがいた。1890年に同僚のエリック・フォーブス=ロバートソンとともに初めてブルターニュを訪れ、ポール・ゴーギャンらが活動していたポン=タヴァンを訪れ、翌年の秋にはポン=タヴァンを訪ずれた後、マドリードなどスペインやモロッコを旅し、スペインではベラスケスとゴヤらの作品を学んだ。
1894 年にイギリスに帰国し、サマセットのエクスムーア(Exmoor)で暮らし、絵を描き、ハンティングをして過ごした。
1897年の夏に、エリック・フォーブス=ロバートソンとポーランド生まれの画家の女性との結婚式で立会人を務め、新婦側の立会人だったポーランド生まれの画家スタニスラワ・デ・カルロウスカ(Stanisława de Karłowska: 1876-1952)と知り合い、その年結婚した。1900年までポーランドで暮らし、その後、ロンドンの戻るが、夏は1905年までポーランドに旅した。
1911年にハロルド・ギルマンやスペンサー・フレデリック・ゴアらとともにウォルター・シッカートを中心とする「カムデン・タウン・グループ」に参加し、より前衛的なグループが合流して「ロンドン・グループ」と呼ばれるようになったグループにも参加した。ハロルド ギルマンやチャールズ・ジナー(Charles Ginner)、ジョン・ナッシュとともに「カンバーランド・マーケット・グループ」(Cumberland Market Group)としても活動した。主にポスト印象派のスタイルの風景画を描いた。1922年にニュー・イングリッシュ・アート・クラブの会員になった。
1925年に胃癌のためロンドンで59歳で亡くなった。
作品
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牧草の刈り取り (c.1910)
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"Queen's Road" (c.1910)
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陽光のなかのアドレイド通り(c.1910)
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羽飾りの帽子(1915)
脚注
[編集]- ^ Robert Bevan (1965). Robert Bevan: A Memoir by his Son. London, Studio Vista. p. 8.
参考文献
[編集]- Frances Stenlake, Robert Bevan from Gauguin to Camden Town. Londen, Unicorn Press. 2008.
- Robert Upstone, Modern Painters: The Camden Town Group. Catalogus Tate Britain, Londen, 2008. ISBN 1-85437-781-7.