ロベール・メナール
ロベール・メナール Robert Ménard | |
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ロベール・メナール(2015年) | |
生年月日 | 1953年7月6日(71歳) |
出生地 | フランス フランス領アルジェリアオラン |
出身校 | モンペリエ大学 |
前職 | ジャーナリスト |
所属政党 |
革命的共産主義者同盟(1973年 - 1979年) 社会党(1979年 - 1981年) 無所属(1981年 - ) |
称号 | 哲学修士 |
配偶者 | エマニュエル・メナール |
宗教 | カトリシズム |
ベジエ市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2014年4月4日 - 現職 |
ロベール・メナール(Robert Ménard, 1953年7月6日 - )は、フランスのジャーナリスト、政治家。非政府組織「国境なき記者団」創設者の1人で現在は事務局長を務めている。2014年からはベジエの市長を務めている。
経歴
[編集]メナールはアルジェリアのオランで生まれ、メナールの家系は1850年代からアルジェリアで暮らしていたフランス系でメナールが9歳のときに家族とフランス・アヴェロンへ移住していた。メナールはそこで宗教を学び、将来は聖職につくことを考えていた。その後、大学在学中に第四インターナショナル系の革命的共産主義者同盟のメンバーとなってトロツキストらと関係を持つようになり、社会党に入党。1975年から1976年、メナールは"Radio Pomarède"という海賊局を立ち上げ、"l'Association pour la libération des ondes"(解放運動連合放送)の会長となる。このことから幾度となく訴訟の標的になり、なかには後の大統領となるミッテランも訴訟を起こしている。その後、フリーマガジン"Le Petit biterrois"を発刊するが広告主が集まらずに廃刊。そして1985年に国境なき記者団を創設する。
メナールは重大論争の中心に立つようになっていく。あるラジオインタビューで、ジャーナリストのダニエル・パール誘拐殺害事件について問われた際、「拷問の有用性は状況次第で正当化されるかもしれないとの解釈が広がってしまった」と述べている[1]。2008年3月24日にはメナールを含めた国境なき記者団の3人が北京オリンピックの採火式を混乱に陥れたため逮捕された。この騒動を起こした目的は、中国政府がチベットの市民権運動を厳重に取り締まっていることへの抗議だったという[2]。
また、国境なき記者団はアメリカ・中央情報局とつながっているとの憶測を受け非難されているが[3]、これを否定している[4]。もっとも、全米民主主義基金とつながり、資金提供を受けているのは事実である。
なお、メナールはエマニュエル・デュヴェルジェと結婚しており、現在2人の子供に恵まれている。
政治キャリア
[編集]2014年4月4日よりベジエの市長を務めている。国民連合の支持を受けており、「難民申請希望者たちがベジエにやってくる!」と移民の恐怖をあおるパンフレットを作成したことや[5]、ベジエにこれ以上ケバブレストランを開かせないと、ベジエを反ケバブの首都であると宣言するなどの言動で知られる[6]。
受賞
[編集]2007年1月28日、台湾民主基金より「第1回アジア民主人権賞」を受賞。[7]
脚注
[編集]- ^ Jean-Noël Darde, Quand Robert Ménard, de RSF, légitime la torture, Rue89, 26 August 2007
- ^ Reporters Without Borders demonstrates in Olympia at start of Olympic torch relay to Beijing
- ^ Reporters Without Borders Financed by CIA
- ^ Why we take so much interest in Cuba
- ^ AFP、難民写真の不当使用で仏ベジエ市長を提訴 - AFP News 2015年09月17日 16:03配信
- ^ Robert Ménard veut bouter les kebabs hors de Béziers - ル・ポワン2015/10/30 15:37配信
- ^ 『台湾週報』2007年12月14日
著書
[編集]- ロベール・メナール 『闘うジャーナリストたち -国境なき記者団の挑戦-』 岩波書店、2004年、287頁。