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ロマン・エレメンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロマン・エレメンコ
ロストフ時代(2019年)
名前
本名 ラマン・アレクセーイェヴィチ・イェレーメンコ
Roman Alekseyevich Eremenko
ラテン文字 Roman Eremenko
ロシア語 Роман Алексеевич Ерёменко
基本情報
国籍  フィンランド
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1987-03-19) 1987年3月19日(37歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 モスクワ
身長 180cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム 無所属
ポジション MF(OMF)
利き足 右足
ユース
1994-1997 フィンランドの旗 ヤロ
1998 ノルウェーの旗 トロムセ
1999-2003 フィンランドの旗 HJK
2003 フィンランドの旗 ヨケリト英語版
2003-2004 フィンランドの旗 ヤロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 フィンランドの旗 ヤロ 19 (3)
2004 フィンランドの旗 JBK英語版(loan) 5 (0)
2004 フィンランドの旗 GBK英語版(loan) 3 (0)
2005-2009 イタリアの旗 ウディネーゼ 13 (0)
2007 イタリアの旗 シエーナ (loan) 11 (0)
2008-2009 ウクライナの旗 ディナモ・キーウ (loan) 19 (1)
2009-2011 ウクライナの旗 ディナモ・キーウ 58 (4)
2011-2014 ロシアの旗 ルビン・カザン 73 (11)
2014-2017 ロシアの旗 CSKAモスクワ 59 (19)
2018 ロシアの旗 スパルタク・モスクワ 4 (0)
2019-2021 ロシアの旗 ロストフ 44 (9)
代表歴2
2002 フィンランドの旗 フィンランド U-15 2 (0)
2003 フィンランドの旗 フィンランド U-16 10 (3)
2004 フィンランドの旗 フィンランド U-17 6 (1)
2004-2005 フィンランドの旗 フィンランド U-19 9 (0)
2006-2008 フィンランドの旗 フィンランド U-21 6 (1)
2007-2016 フィンランドの旗 フィンランド 73 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年4月22日現在。
2. 2016年9月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラマン・アレクセーイェヴィチ・イェレーメンコロシア語: Роман Алексеевич Ерёменко, ラテン文字転写: Roman Alekseyevich Eremenko, 1987年3月19日 - )は、ソビエト連邦(現ロシア)・モスクワ出身の元フィンランド代表サッカー選手。現在は無所属。ポジションはMF(攻撃的ミッドフィールダー)。

経歴

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フィンランド時代

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生まれはモスクワだが、3歳からフィンランドに移住する。父はFCディナモ・モスクワFCスパルタク・モスクワで活躍したアレクセイ・エレメンコ・シニア英語版。兄のアレクセイ・エレメンコ、弟のセルゲイ・エレメンコ英語版もプロのサッカー選手である。

2004年にFFヤロのトップチームに昇格すると、7月29日のミリコスケン・パロ47戦で途中出場し17歳でヴェイッカウスリーガデビュー。この試合では父アレクセイと共にピッチ上で競演した。9月18日のFCラハティ戦でリーグ戦初ゴールを記録する。

イタリア時代

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2005年7月、セリエAウディネーゼ・カルチョへ5年契約で移籍[1]。ヤロの選手として歴代最大の契約となった。2005-06シーズンはプリマヴェーラで過ごす。2006年9月10日のFCメッシーナ戦でスタメンに起用されリーグ戦デビューとなりフル出場、セリエAでプレーする4人目のフィンランド人となった。

シーズン前半戦で6試合の出場に留まったため、2007年1月31日にACシエーナ期限付き移籍[2]。途中出場を中心として11試合に出場し、シーズン終了後にウーディネへ帰還した。

10月にはクラブとの契約を2年間延長[3]。しかし2007-08シーズンから新監督に就任したパスクアーレ・マリーノの下でも出場機会に恵まれなかった。

ウクライナ時代

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2008年8月にウクライナFCディナモ・キーウへ買い取りオプション付きのローンで加入[4]ユーリー・ショミン監督の下、8月31日のFCメタルルフ・ドネツィク戦で後半アディショナルタイムにミロシュ・ニンコヴィッチとの交代で移籍後初出場。9月17日にはUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのアーセナルFCとの一戦でフル出場を果たし、欧州の舞台でもデビューを飾った。

9月21日のFCチョルノモレツ・オデッサ戦で前半9分に先制点となる移籍後初ゴールを挙げ、3-0での勝利に貢献する[5]。12月10日のフェネルバフチェSK戦では自身初のCLでのゴールを記録、この試合唯一の得点を挙げた[6]。シーズン終了後にオプションが行使され、ディナモ・キエフと5年契約を締結した[7]。2009-10シーズンはリーグ戦26試合出場1得点を記録。以降主力としてプレーし、公式戦合計100試合以上に出場。リーグで1回、スーパーカップで2回の優勝を経験する。UEFAヨーロッパリーグ 2010-11決勝トーナメントでは、最多となる6アシストを記録した[8]

ロシア時代

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2011年8月、ロシア・プレミアリーグFCルビン・カザンへ4年契約で移籍[9]。移籍金は1300万ユーロと報道され、これはフィンランド人として過去最高額であった。また、兄のアレクセイも同時期にルビン・カザンへ加入している。

2014年8月25日、PFC CSKAモスクワへ4年契約で加入[10]。2014-15シーズンには59試合出場19得点を記録し、3度の月間最優秀選手や[11]年間最優秀選手に選出された[12]

2016年11月18日、同年9月のUEFAチャンピオンズリーグ 2016-17バイエル・レヴァークーゼン戦後に行われたドーピング検査で禁止物質のコカインが検出されたとして、UEFAから2年間の出場停止処分(仮処分が下された2016年10月6日から2018年10月6日まで)を受けたと報じられた[13]

2018年8月9日、古巣CSKAの宿敵であり実弟セルゲイが所属するFCスパルタク・モスクワと契約を結んだ。娘の誕生日に因み背番号26のシャツを着用した[14]

2019年1月18日、実兄アレクセイの出身地のクラブであるFCロストフと2年半の契約を結んだ[15]。3月16日の古巣ルビン・カザン戦では、残り10分で2得点を挙げ2-0での勝利に貢献[16]。6月14日、クラブとの契約を4年間延長した[17]。2020年6月には同僚5人と共に新型コロナウイルスに感染し、チーム全体が隔離措置となった[18]。2021年2月23日、家庭を優先するためクラブとの双方合意により契約を解除した[19]

代表歴

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各年代のフィンランド代表としてプレーする。2007年6月6日のEURO2008予選ベルギー戦で、ロイ・ホジソン監督の下スタメンに名を連ねA代表デビュー。フル出場を果たし2-0での勝利で飾った。2010年3月3日に開催された国際親善試合・マルタ戦で同点弾となるPKを沈め代表初ゴールを記録[20]。試合を振り出しに戻すと2-1での逆転勝利に貢献した。

タイトル

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クラブ
ディナモ・キエフ
ルビン・カザン
CSKAモスクワ
個人
  • フィンランドサッカー協会選出年間最優秀選手 : 2011, 2014
  • フィンランド・スポーツジャーナリスト選出年間最優秀選手 : 2011, 2014, 2015
  • UEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント最多アシスト : 2010-11(6アシスト)
  • ロシア・プレミアリーグ年間最優秀選手 : 2014-15
  • ロシア・プレミアリーグ月間最優秀選手 : 2014.10, 2014.12, 2015.3

脚注

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  1. ^ Roman Eremenko siirtymässä Udineseen”. Yle.fi (2005年7月21日). 2021年4月22日閲覧。
  2. ^ UFFICIALE: Siena, dall'Udinese arriva Eremenko”. TUTTOmercatoWEB.com (2007年1月31日). 2021年4月22日閲覧。
  3. ^ CALCIO, UDINESE: IN QUATTRO RINNOVANO FINO AL 2012”. La Repubblica (2007年10月12日). 2021年4月22日閲覧。
  4. ^ UFFICIALE: Udinese, parte Eremenko”. TUTTOmercatoWEB.com (2008年8月18日). 2021年4月22日閲覧。
  5. ^ First league match of Asatiani, first goal of Eremenko”. FC Dynamo Kyiv (2008年9月22日). 2021年4月22日閲覧。
  6. ^ Eremenko drives Dynamo forward”. UEFA.com (2008年12月10日). 2021年4月22日閲覧。
  7. ^ UFFICIALE:la Dinamo Kiev riscatta Eremenko”. TUTTOmercatoWEB.com (2009年8月22日). 2021年4月22日閲覧。
  8. ^ UEFA Europa League - Stastics”. UEFA.com. 2021年4月22日閲覧。
  9. ^ Братья Еременко в "Рубине"rubin-kazan.ru、2011年9月3日閲覧。
  10. ^ Roman Eremenko joins PFC CSKA”. PFC CSKA Moscow (2014年8月25日). 2021年4月22日閲覧。
  11. ^ Roman Eremenkosta jälleen kuukauden pelaaja Venäjällä”. MTV Uutiset (2015年3月24日). 2021年4月22日閲覧。
  12. ^ Roman Eremenkolle jälleen sulka hattuun - valittiin Venäjän liigan parhaaksi”. Yle.fi (2015年6月1日). 2021年4月22日閲覧。
  13. ^ CSKAモスクワのフィンランド代表に2年間の出場停止処分。CLでコカイン陽性反応 - フットボールチャンネル 2016年11月19日
  14. ^ コカイン陽性で2年間の出場停止! 元フィンランド代表MFに手を差し伸べたのは… - サッカーダイジェスト 2018年8月11日
  15. ^ Роман Еременко — игрок «Ростова»”. «Футбольный клуб "Ростов"» (2019年1月18日). 2021年4月22日閲覧。
  16. ^ Рубин 0-2 Росто”. Российская Премьер-Лига (2019年3月16日). 2021年4月22日閲覧。
  17. ^ Роман Еременко продлил контракт с клубом!”. Футбольный клуб "Ростов" (2020年6月14日). 2021年4月2日閲覧。
  18. ^ Sotshi ei tunne korona-armoa – vaatii Roman Eremenkon seuraa pelaamaan B-miehistöllä tai luovuttamaan”. Yle.fi (2020年6月19日). 2021年4月22日閲覧。
  19. ^ 橋本拳人同僚の元フィンランド代表MFエレメンコがロストフ退団…家庭の事情で母国帰還へ”. 超ワールドサッカー (2021年2月24日). 2021年4月22日閲覧。
  20. ^ Malta v Finland”. Goal.com (2010年3月4日). 2021年4月22日閲覧。

外部リンク

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