ローレンス・ハモンド
Laurens Hammond | |
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生誕 |
1895年1月11日 エバンストン (イリノイ州) |
死没 |
1973年7月1日 (78歳没) コネチカット州コーンウォール |
教育 | コーネル大学 |
配偶者 | Roxana Scoville |
親 | William Andrew and Idea Louise Strong Hammond |
業績 | |
専門分野 | 機械工学 |
プロジェクト | ハモンドオルガン, Hammond clock |
受賞歴 | John Price Wetherill Medal |
ローレンス・ハモンド (Laurens Hammond、1895年1月11日生まれ、1973年7月1日没) は、アメリカ合衆国のエンジニアであり、発明家である。彼の発明品には、ハモンドオルガンや、時計、世界初のポリフォニック・シンセサイザー「ノバコード」の発明者でもある。
生い立ち
[編集]ウィリアム・アンドリューとイディア・ルイーズ・ストロング・ハモンドの四人兄弟の末っ子[1]としてイリノイ州エバンストンで生まれた[2]。幼い頃から技術力で頭角を表していた。彼の父ウィリアムは、自身が創始したイリノイ州の第一国立銀行が破綻したため、1897年1月に自殺している。その後、芸術家だった妻イディアは、自身の研究のため、家族とともにフランス、ドイツにわたり11年間過ごしている。[2]
初期の発明
[編集]一家は1909年イリノイ州エバンストンに戻るが、当時14歳のハモンドはフランス語やドイツ語に堪能になっていた。[2]ヨーロッパに滞在中に、彼は自動車のオートマチックに関するシステムの設計をしていた。母親の勧めでこの設計をフランスの自動車メーカー、ルノーのエンジニアに提案したものの、この提案は受け入れられなかった[3]。彼の最初の特許は1ドルで売れる安価な気圧計に関するものだった。
大学と兵役
[編集]ハモンドはコーネル大学で機械工学を学び、デルタウプシロン(通称DU)のメンバーだった。1916年に優秀な成績で卒業した。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に突入したとき、ハモンドはフランスのアメリカ遠征軍である第16連隊エンジニア(鉄道)に仕え、大尉に昇進した。
彼の発明品
[編集]戦争が終わると、船用エンジンを製造していたグレイ・モーター社の主任エンジニアとしてデトロイトで働き、その後1919年にニューヨークに移った。 1922年、ハモンドは映画を特殊な眼鏡で3D映像が見ることができるTeleview(英語版)を発明した。これは1922年上映されたサイレント映画"The Man from M.A.R.S."のためのものだった。1922年12月、ニューヨークのセルウィン劇場で初演されると、とても高い評価を得たものの、導入するために高価な装置を購入する必要があり、コスト面の課題があったため、二度と使われることはなかった。その後、この映画は"Radio-Mania"と改名され、通常の2D映画として公開された[4]。 その後、彼が持っていた同期電動機(シンクロナス・モーター)の技術を基に、1928年にシカゴの食料品店の二階で、6人の従業員と共にハモンド時計会社を設立した。商況は好調で、すぐに大きな工場へと成長した。ハモンドは、電動ブリッジ卓などの発明品を担当していた。
ハモンドオルガンの発明
[編集]1933年、ハモンドは中古のピアノ一台を購入し、鍵盤部分のみを取り出して、コントローラーに改造した。そのコントローラーをもとに、さまざまな音声生成方法について研究した。ハモンドは「磁場で動く金属が電流を作りだす」という原理の応用に、自ら開発した同期電動機を使うトーンホイールジェネレーターを発明し、さらに音色を豊かにするためにドローバーを組み込んで、1934年、画期的なオルガン(ハモンドオルガン)を完成させた。この画期的な発明は、当時産業界全体に大きな反響を呼び、自動車王ヘンリー・フォードがその技術と音色に魅せられて1号機から6号機までを購入したというエピソードも残っている。[5] 1934年1月19日に特許を出願すると、特許庁は、当時大恐慌で失業が問題になっており、これが雇用の創出につながるとして速やかに認可した。 ハモンドオルガン発明の功績により、1940年、フランクリン協会からベンジャミン・フランクリンメダルが授与されている。
参照
[編集]- ^ The Name's Familiar II. Gretna: Pelican Publishing Company. (2001). pp. p. 154
- ^ a b c Historical Gazetteer of the United States. Routledge. (2006). pp. p. 284
- ^ 『Clocks Were Not the Only Thing』NAWCC Bulletin. National Association of Watch and Clock Collectors、2001年、43: 167頁。
- ^ Soister, John T.『American Silent Horror, Science Fiction and Fantasy Feature Films, 1913-1929.』Henry Nicolella, Steve Joyce、McFarland & amp; Company, Inc., Publishers、Jefferson、2012年、P383頁。ISBN 978-0-7864-8790-5。OCLC 797916368 。
- ^ “ハモンドオルガンとは?レスリースピーカーとは?”. 鈴木楽器製作所. 2021年6月28日閲覧。
The most comprehensive source on Laurens Hammond's life and inventions is the book by Stuyvesant Barry, Hammond as in Organ: The Laurens Hammond Story. This book was never published, but is available on the web at The Hammond Organ Story.
外部リンク
[編集]- “Electric Pipeless Organ Has Millions of Tones”. Popular Mechanics (April 1936). (April 1936) . – one of the first large detailed article on the Hammond Organ and how it worked
- “Hammond Products”. OrganHouse.com. 2011年9月9日閲覧。 – a collection of Hammond products including: clock, organ, Novachord, Solovox, rhythm Machine, and bridge table.
- Blip