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ワシントン・シャーリー (第9代フェラーズ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第9代フェラーズ伯爵ワシントン・セウォリス・シャーリー英語: Washington Sewallis Shirley, 9th Earl Ferrers1822年1月3日1859年3月13日)は、グレートブリテン貴族。1830年から1842年までタムワース子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

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タムワース子爵ロバート・ウィリアム・シャーリー(Robert William Shirley, Viscount Tamworth、1783年8月24日 – 1830年2月2日、第8代フェラーズ伯爵ワシントン・シャーリーの息子)と妻アン(Anne、旧姓ウェストン(Weston)、1799年ごろ – 1839年10月7日、リチャード・ウェストンの娘)の息子として、1822年1月3日にダービーシャーのエドナストン・ロッジ(Ednaston Lodge)で生まれた[1]。1837年ごろから1841年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]

1842年10月2日に祖父が死去すると、フェラーズ伯爵位を継承した[1]

1852年2月10日、レスターシャー副統監に任命された[2]。1857年1月10日、スタッフォードシャー副統監に任命された[3]

1859年3月13日にストーントン・ハロルド英語版で病死、22日に同地で埋葬された[1]。息子セウォリス・エドワードが爵位を継承した[1]

家族

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1844年7月23日、オーガスタ・アナベラ・チチェスター(Augusta Annabella Chichester、1826年6月20日 – 1914年10月9日、第4代ドニゴール侯爵エドワード・チチェスター英語版の娘)と結婚[1]、3男2女をもうけ、うち1男1女が成人した[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 339.
  2. ^ "No. 21291". The London Gazette (英語). 17 February 1852. p. 449.
  3. ^ "No. 21959". The London Gazette (英語). 16 January 1857. p. 175.
  4. ^ a b c d e Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. p. 204.
  5. ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 1 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 913.

外部リンク

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グレートブリテンの爵位
先代
ワシントン・シャーリー
フェラーズ伯爵
1842年 – 1859年
次代
セウォリス・エドワード・シャーリー