ワシントン・シャーリー (第9代フェラーズ伯爵)
第9代フェラーズ伯爵ワシントン・セウォリス・シャーリー(英語: Washington Sewallis Shirley, 9th Earl Ferrers、1822年1月3日 – 1859年3月13日)は、グレートブリテン貴族。1830年から1842年までタムワース子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]タムワース子爵ロバート・ウィリアム・シャーリー(Robert William Shirley, Viscount Tamworth、1783年8月24日 – 1830年2月2日、第8代フェラーズ伯爵ワシントン・シャーリーの息子)と妻アン(Anne、旧姓ウェストン(Weston)、1799年ごろ – 1839年10月7日、リチャード・ウェストンの娘)の息子として、1822年1月3日にダービーシャーのエドナストン・ロッジ(Ednaston Lodge)で生まれた[1]。1837年ごろから1841年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1842年10月2日に祖父が死去すると、フェラーズ伯爵位を継承した[1]。
1852年2月10日、レスターシャーの副統監に任命された[2]。1857年1月10日、スタッフォードシャーの副統監に任命された[3]。
1859年3月13日にストーントン・ハロルドで病死、22日に同地で埋葬された[1]。息子セウォリス・エドワードが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1844年7月23日、オーガスタ・アナベラ・チチェスター(Augusta Annabella Chichester、1826年6月20日 – 1914年10月9日、第4代ドニゴール侯爵エドワード・チチェスターの娘)と結婚[1]、3男2女をもうけ、うち1男1女が成人した[4]。
- 男子(1845年7月16日) - 死産[4]
- セウォリス・エドワード(1847年1月24日 – 1912年7月26日) - 第10代フェラーズ伯爵[1]
- アメリア・アン(1848年12月1日 – 1849年9月6日[4])
- オーガスタ・アメリア(1849年12月25日[4] – 1933年2月10日) - 1873年8月19日、第4代準男爵サー・アーチダル・ロバート・パーマー(1906年7月26日没)と結婚、子供なし[5]
- デヴァルー・ヒュー・ルーパス(Devereux Hugh Lupus、1853年7月16日 – 1854年2月22日[4])
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 339.
- ^ "No. 21291". The London Gazette (英語). 17 February 1852. p. 449.
- ^ "No. 21959". The London Gazette (英語). 16 January 1857. p. 175.
- ^ a b c d e Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. p. 204.
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 1 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 913.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Washington Shirley
- "ワシントン・シャーリーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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