コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴァウール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Vaour

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オクシタニー地域圏
(département) タルヌ県
(arrondissement) アルビ郡
小郡 (canton) カルモー2・ヴァレ・デュ・セルー小郡
INSEEコード 81309
郵便番号 81140
市長任期 パスカル・ソラン
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Cordais et du Causse
人口動態
人口 370人
(2014年)
人口密度 26人/km2
住民の呼称 Vaourais, Vaouraises
地理
座標 北緯44度04分23秒 東経1度48分09秒 / 北緯44.0730555556度 東経1.8025度 / 44.0730555556; 1.8025座標: 北緯44度04分23秒 東経1度48分09秒 / 北緯44.0730555556度 東経1.8025度 / 44.0730555556; 1.8025
標高 平均:432m
最低:240 m
最高:507m
面積 14.12km2
Vaourの位置(フランス内)
Vaour
Vaour
テンプレートを表示

ヴァウールVaourオック語:Vaur)は、フランスオクシタニー地域圏タルヌ県コミューン

地理

[編集]

ヴァウールはタルヌ=エ=ガロンヌ県との県境にある。アヴェロン川の湾曲の南側、ペンヌ、サンタントナン=ノブル=ヴァルやカザルを流れる岸辺に面する。ヴァウールは大陸性気候のゾーンにあり、北はコース地方、南はグレシニェの森やワインづくりが盛んなガイヤコワ地方である。町はコルド=シュル=シエルの西18kmにあり、中世、そして観光の村が丘の上に腰かけている。村はコース地方の奇岩地帯の下にあり、グレシニェの森とブドウ畑を見下ろしている。村のある岩山はジュラ紀初期の砂岩で、その風景はカシの森林に覆われた丘陵や、点在する牧草地で構成される。

歴史

[編集]

ヴァウール地方に人が定住したのは、少なくとも青銅器時代初期にさかのぼる。ペルルヴァドのドルメンは県で最大である。ドルメンの建設は紀元前2500年から紀元前1500年の間で、使用されていたのは紀元前500年までである。

また、この土地にケルト人が定住したとみられている。水の崇拝に捧げられたであろう、溝のある舗石が、ヴァウールのコマンドリーが建設された丘の上で見られるからである。

1140年、ペンヌの騎士たちは土地をピエール・ユンベールに寄進した。テンプル騎士団のコマンドリーがそこに建設された。そこにはわずか12人の騎士たちがいて、残りは次のような地方の様々な付属建築物に定住していた。モントリクー、カオール、ラカペル・リヴロンである。テンプル騎士団の騎士たちは、地元住民たちの保護と引き換えに、領主から課せられる義務や課税が免除されていた。コマンドリーの権力は7つのカントン、そしてケルシー地方にまで及んでいた。この影響は、セトフォン修道院およびシャンスラド修道院からの宗教的な寄進、同様にトゥールーズ伯からの寄進で確立されていた。ヴァウールでの生活に関する文書はわずかしかない。フィリップ4世ローマ教皇ボニファティウス8世の論争の最中である1307年、ヴァウールの司令官ベルナール・ド・ロシャはフランス王側についた[1]

人口統計

[編集]
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2014年
302 405 352 310 295 248 290 370

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

ギャラリー

[編集]

脚注

[編集]