ヴァシリー・ヴァシリエヴィチ (ヤロスラヴリ公)
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ヴァシリー・ヴァシリエヴィチ(ロシア語: Василий Васильевич、1339年? - 1380年?)は歴代ヤロスラヴリ公のうちの一人である。在位:1345年 - 1380年?
ヤロスラヴリ公ヴァシリー(ru)(ヴァシリー・グロズヌィエ = オーチ)の長男として生まれ、父の死後ヤロスラヴリ公位を継いだ。ルーシの年代記(レートピシ)には、ヴァシリー治世期の1364年にペストが発生したこと。また1372年にはヤロスラヴリがウシュクイニク(ru)(ノヴゴロドの支配階級に属する従士団で、しばしば略奪を行った[1])に襲撃されたことが記されている。1375年、モスクワ大公ドミトリー・ドンスコイによるトヴェリへの遠征に参加した。また、いくつかの資料によれば、1380年のクリコヴォの戦いではモスクワ大公国軍の、左翼の一部隊を率いたとされる。
ヴァシリーの没年は明らかではない。その死後、息子たちのうちイヴァン(ru)、ついでフョードルがヤロスラヴリ公国を継ぎ、セミョーンはノヴレンスコエ公国(ru)を、ドミトリー(ru)はザオゼリエ公国(ru)を分割継承した。
出典
[編集]- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、p1191
参考文献
[編集]- Василий Васильевич, князь ярославский (сын Василия Давидовича Грозного) // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(ブロックハウス・エフロン百科事典) : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.