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ヴァレリアン・イスマエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァレリアン・イスマエル
名前
ラテン文字 Valérien ISMAËL
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
フランスの旗 フランス
マルティニークの旗 マルティニーク
生年月日 (1975-09-28) 1975年9月28日(49歳)
出身地 ストラスブール
身長 191cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
1982-1984 フランスの旗 ホルツハイム
1984-1992 フランスの旗 ストラスブール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1998 フランスの旗 ストラスブール 87 (1)
1998 イングランドの旗 クリスタル・パレス 13 (0)
1998-2002 フランスの旗 RCランス 83 (5)
2001 フランスの旗 ストラスブール (loan) 9 (0)
2002-2004 フランスの旗 ストラスブール 26 (2)
2003-2004 ドイツの旗 ブレーメン (loan) 32 (4)
2004-2005 ドイツの旗 ブレーメン 32 (4)
2005-2007 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 31 (0)
2006-2007 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 7 (2)
2007-2009 ドイツの旗 ハノーファー 18 (0)
通算 338 (18)
監督歴
2011-2013 ドイツの旗 ハノーファーII
2013-2014 ドイツの旗 ヴォルフスブルクII
2014 ドイツの旗 ニュルンベルク
2015-2016 ドイツの旗 ヴォルフスブルクII
2016-2017 ドイツの旗 ヴォルフスブルク
2018 ギリシャの旗 アポロン・スミルニ
2019-2020 オーストリアの旗 LASKリンツ
2020-2021 イングランドの旗 バーンズリー
2021 イングランドの旗 WBA
2022- トルコの旗 ベシクタシュ
1. 国内リーグ戦に限る。2019年9月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴァレリアン・イスマエルValérien Ismaël, 1975年9月28日 - )は、フランスストラスブール出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー (CB)。

経歴

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クラブ

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ストラスブール

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グアドループ出身の父親[1]アルザス出身の母親[2]の下、ストラスブールで育つ。祖父はドイツ人である[3]RCストラスブールの下部組織に所属し、1994年1月15日のASカンヌ戦でプロデビューを果たす。同クラブではディヴィジオン・アンで87試合に出場、UEFAカップでも5試合に出場し1得点を挙げる。

クリスタル・パレス

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1998年1月、プレミアリーグクリスタル・パレスFCに当時のクラブ史上最高額となる275万ユーロの移籍金で加入した。リーグ戦13試合に出場したがクラブは降格が決定し、10ヶ月でロンドンを去った。

母国復帰

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1998年10月、RCランスと契約を結び母国に復帰した。リーグ戦83試合に出場し、5ゴールを記録した。2001年の後半は古巣であるストラスブールに期限付き移籍したがクラブの降格を防ぐことはできなかった。一度レンタルバックした後、ストラスブールに完全移籍。クラブは2001-02シーズンを2位で終え、1年で1部に復帰した。リーグ・アン初年度のシーズンではキャプテンを務め、最終的にクラブはリーグ13位で終えた。

ブレーメン

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2003年、ブンデスリーガヴェルダー・ブレーメンにレンタルで加入した。リーグとDFBポカールの2冠を達成したクラブの主力としてプレーし、2003-04シーズン終了後に完全移籍した。翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦でオリンピック・リヨンに大敗を喫したが、自身は大会通算2ゴールを決めた。

バイエルン・ミュンヘン

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2005年7月、バイエルン・ミュンヘンに移籍。デビュー戦でレッドカードを受けるが、最終的に自身2度目となるリーグとポカールの2冠を経験した。2006-07シーズンは、負傷によりその大半を棒に振った。UEFAチャンピオンズリーグACミラン戦でゴールを挙げるもチームは敗退した。

ハノーファー

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2007年12月、1部残留を目指し統率力のあるDFを探していたハノーファー96に移籍した[4]。古巣であるバイエルン戦でのデビューとなり、前半をスコアレスで終えたが負傷により交代し、チームは後半に3失点して敗れた[5]。故障から復帰して以降はレギュラーとしてプレーした。しかしその後も負傷が続き、2009年10月5日に現役を引退した。

指導者

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2014年6月5日、2. ブンデスリーガへ降格した1.FCニュルンベルクの監督に就任した。

2021年6月24日、バーンズリーFCでの手腕を評価され、EFLチャンピオンシップへ降格したウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCの監督に就任した[6]。2022年2月2日に解任された[7]

2022年3月25日、ベシクタシュJKの監督に就任した。

人物

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191cmの長身を活かしたハードなディフェンスが特長。そのためか、PKを与えてしまう場面などもある。攻撃面でも迫力があり、シュートの威力やヘディングの強さは特に優れている。

自身はマルティニークにルーツを持つが、最初の妻がトーゴ人であるため、トーゴ代表へのオファーがあったとされるが、自身が興味があるのはフランス代表ドイツ代表だけと公言していた。 2013年4月にドイツ国籍を取得。同年8月にドイツ人女性と再婚した。

所属クラブ

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フランスの旗 RCストラスブール 2001 (レンタル
  • フランスの旗 RCストラスブール 2002-2003
ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン 2003-2004 (レンタル

指導歴

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脚注

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  1. ^ Bremens Ismaël trifft auf ungeliebte Landsleute”. Berliner Zeitung (2005年2月23日). 2015年8月3日閲覧。
  2. ^ Valerien Ismaël bekommt die Freigabe für den Club”. nordbayern.de (2014年6月4日). 2015年8月3日閲覧。
  3. ^ Ismael: Er sollte für Deutschland spielen”. Bild (2006年3月3日). 2015年8月3日閲覧。
  4. ^ Auf Ismael ruht die Hoffnung”. kicker online (2007年12月17日). 2015年8月3日閲覧。
  5. ^ Hannover 96 - Bayern München 0:3”. kicker online (2008年2月17日). 2015年8月3日閲覧。
  6. ^ イングランド2部降格WBA、4年契約でフランス人指導者イスマエルの招へいを発表 | Goal.com”. www.goal.com. 2021年6月25日閲覧。
  7. ^ Club statement: Valérien Ismaël | West Bromwich Albion”. West Bromwich Albion F.C. (2022年2月2日). 2022年2月15日閲覧。