ヴァンヴ
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Vanves | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | オー=ド=セーヌ県 |
郡 (arrondissement) | アントニー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 92075 |
郵便番号 | 92170 |
市長(任期) |
ベルナール・ゴーデュショー (2020年-2026年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
27,466人 (2018年) |
人口密度 | 17,235人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯48度49分15秒 東経2度17分23秒 / 北緯48.820833度 東経2.289722度座標: 北緯48度49分15秒 東経2度17分23秒 / 北緯48.820833度 東経2.289722度 |
標高 |
最低:35m 最高:78 m |
面積 | 1.56km2 |
公式サイト | ville-vanves.fr |
ヴァンヴ (Vanves)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、オー=ド=セーヌ県のコミューン。国内第10位の人口密度が高いコミューンである。
地理
[編集]北はパリ15区、東はマラコフ、南はクラマール、西はイシー=レ=ムリノーと接する。
交通
[編集]- 道路 - ペリフェリックが通っており、15区のポルト・ド・ラ・プレーヌ、ポルト・ブランションを通じてパリと往来ができる。
- 鉄道 - トランジリアンパリ=モンパルナス線。パリメトロ12号線、パリメトロ13号線、トラム3号線
歴史
[編集]Vanvesの名はケルト語のVenna(魚の堰)に由来する[1]。1793年にはVauvesと改名された[2]。1801年にはVanvresと再び改名された。
998年頃には既に村の存在が知られていた。1163年にはパリのサント=ジュヌヴィエーヴ修道院の所領となった。1419年以来教会があった。1423年、シャルル7世に忠誠を示し続けた修道士たちは、ヘンリー4世に身柄を拘束された。
1815年、イギリス=プロイセン連合軍がヴァンヴを荒廃させた。初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーとゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルはヴァンヴに軍本部をおいた。
1860年、ジョルジュ・オスマンのパリ区画整理によってヴァンヴの領域の一部がパリ15区に取り込まれた。1883年、モンパルナス駅のおかげで人口が増えたヴァンヴの新地区は、独立したコミューン、マラコフとして分離した。
姉妹都市
[編集]みどころ
[編集]- サン=レミ教会(ヴァンブ) - 1449年に完成したゴシック・フランボワイヤン様式。普仏戦争で破壊され、打ち捨てられていたが現在内部の改修が行われている。
- ヴァンヴ城 - 1698年にマンサールが建築。1717年にコンデ公ルイ4世のものとなった[3]。現在は、リセ・ミシュレ(ヴァンブ)として使われている。
著名人
[編集]居住者
[編集]- マルグリット・デュラス(作家) - 仏印からヴァンヴに移り、パリ16区オートゥイユの旧私立科学技術高校 (fr) に通い、パリ大学法学部に学んだ。
脚注
[編集]- ^ "Un peu d'histoire". site de la mairie de Vanves. 2009年6月27日閲覧。
- ^ "Vanves". Cassini. 2009年7月1日閲覧。
- ^ "Historique du lycée Michelet". cité scolaire Michelet. 2009年7月1日閲覧。
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