ヴィクター・O・フレイザー
ヴィクター・O・フレイザー Victor O Frazer | |
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生年月日 | 1943年5月24日(81歳) |
出生地 | アメリカ領ヴァージン諸島、シャーロット・アマリー |
出身校 |
フィスク大学 (B.A.) ハワード大学 (J.D.) |
所属政党 |
民主党( - 1992年) 独立市民運動(1992年 – 現在) |
選挙区 | アメリカ領ヴァージン諸島 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年1月3日 - 1997年1月3日 |
ヴィクター・O・フレイザー(英語: Victor O. Frazer, 1943年5月24日 - )は、アメリカ領ヴァージン諸島の弁護士、政治家。アメリカ合衆国下院代議員(通算1期)。
経歴・人物
[編集]1943年、セント・トーマス島のシャーロット・アマリーで生まれた。1964年、テネシー州ナッシュビルのフィスク大学を卒業、1971年にハワード大学で法務博士を取得した。コロンビア特別区などで弁護士として活動したほか、マーヴィン・M・ダイマリー(カリフォルニア州)やジョン・コニャーズ(ミシガン州)といったアメリカ下院議員のスタッフとして活動した[1]。
下院議員
[編集]1992年、フレイザーはアメリカ下院議員選挙に無所属で立候補した。対抗馬は現職で通算10期目の当選を目指すロン・デ・ルーゴのみだったが、支持を広げられず落選した[2]。
1994年選挙に無所属から立候補したフレイザーは10,321票(32.5%)を獲得し、全体2位につけた。最多の10,819票(34.1%)を得た民主党のエイリーン・ピータソンが過半数の得票に至らなかったため、決選投票となり、フレイザーが16,561票(54.5%)を獲得し初当選を果たした[3]。ヴァージン諸島選挙区選出のアメリカ下院代議員としては、初の無所属当選者であった。
1996年選挙にも無所属から立候補した。選挙の結果、民主党のドンナ・クリステンセンが7,202票(46.9%)を獲得したが、得票が過半数に満たなかったため、4162票(27.1%)を獲得して2位につけたフレイザーとの決選投票となった。決選投票でフレイザーは11,913票を獲得して粘りを見せたものの、12,869票を獲得したクリステンセンに破れ、落選した[4]。
参考文献
[編集]- ^ “FRAZER, Victor O.”. History, Art & Archives; United States House of Representatives. 2021年1月20日閲覧。
- ^ Statistics of the Congressional Election of November 3, 1992. U.S. Government Printing Office. (1993年5月31日). pp. 81
- ^ Statistics of the Congressional Election of November 8, 1994. U.S. Government Printing Office. (1995年5月12日). pp. 47
- ^ Statistics of the Congressional Election of November 5, 1996. U.S. Government Printing Office. (1997年7月29日). pp. 76-77
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- United States Congress. "ヴィクター・O・フレイザー (id: F000351)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- ヴィクター・O・フレイザー - C-SPAN
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ロン・デ・ルーゴ |
アメリカ領ヴァージン諸島選挙区 選出議員 第4代: 1995年1月3日 - 1997年1月3日 |
次代 ドンナ・クリステンセン |