ヴィータウタス・ランズベルギス=ジェムカルニス
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Vytautas Landsbergis-Žemkalnis ヴィータウタス・ランズベルギス=ジェムカルニス | |
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生誕 |
1893年3月10日 ロシア帝国 リンカヴィチェイ |
死没 |
1993年5月21日(100歳没) リトアニア ヴィリニュス |
職業 | 建築家 |
配偶者 |
オナ・ヤブロンスキーテ=ランズベルギエネ(前妻) エレナ・クルクリエティエネ(後妻) |
子供 |
アレナ・ランズベルギーテ・カラジイエネ ガブリエリュス・ジェムカルニス=ランズベルギス ヴィータウタス・ランズベルギス |
親 |
ガブリエリュス・ランズベルギス=ジェムカルニス(父) チェスラヴァ・ルカシェヴィチューテ(母) |
ヴィータウタス・ランズベルギス=ジェムカルニス(Vytautas Landsbergis-Žemkalnis、1893年3月10日 - 1993年5月21日[1])は、リトアニアの建築家、政治家。
経歴
[編集]1893年3月10日、リンカヴィチェイに生まれる。1904年、ロシアからリトアニアに戻る[1]。
1919年から1922年までリトアニア独立戦争に義勇兵として従軍[1]。
1941年、リトアニア臨時政府で共同経済相を務める[2][3]。
1944年、ドイツに亡命[1]。1949年、オーストラリアに移る[1]。
家族
[編集]父はガブリエリュス・ランズベルギス=ジェムカルニス(1852年 - 1916年)、母はチェスラヴァ・ルカシェヴィチューテ(1860年 - 1907年)。
妻は、言語学者ヨナス・ヤブロンスキスの娘であるオナ・ヤブロンスキーテ=ランズベルギエネ。オナとのあいだにアレナ・ランズベルギーテ=カラジイエネ、ガブリエリュス・ジェムカルニス=ランズベルギス、ヴィータウタス・ランズベルギスの3児をもうける。ガブリエリュスは、オーストラリアでリトアニア語ラジオ局などで務める。ヴィータウタスは音楽学者であり、またサーユーディスの指導者として独立運動を率い、最高会議議長などを務めた。
その後、エレナ・クルクリエティエネと再婚した。エレナ・クルクリエティエネは前夫とのあいだに娘をもうけている(作家のエレナ・クルクリエティーテ)。
作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Vytautas Landsbergis-Žemkalnis”. 2016年8月6日閲覧。
- ^ “Lietuvos laikinoji vyriausybė”. Visuotinė lietuvių enciklopedija. 2019年7月15日閲覧。
- ^ 重松 2017, p. 184.
- ^ エイディンタスほか 2018, p. 278.
- ^ エイディンタスほか 2018, p. 279.
参考文献
[編集]- エイディンタス, アルフォンサス、アルフレダス・ブンブラウスカス、アンタナス・クラカウスカス、ミンダウガス・タモシャイティス 著、梶さやか、重松尚 訳『リトアニアの歴史』明石書店、2018年。ISBN 9784750346434。
- 重松尚 著「リトアニア臨時政府(1941年)——「抵抗」の歴史とその記憶」、橋本伸也編著 編『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題——ナチズムと社会主義の過去をめぐる葛藤』ミネルヴァ書房、2017年、173〜194ページ頁。ISBN 9784623080946。