一宮城 (尾張国)
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一宮城 (愛知県) | |
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一宮城の石碑 | |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 関成重 |
築城年 | 不明、天文・弘治年間(1532年-1558年)? |
主な城主 | 関共成・不破広綱 |
廃城年 | 1590年(天正18年)以後 |
遺構 | なし(埋没?) |
指定文化財 | 未指定 |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県遺跡番号02Y008[1] |
位置 | 北緯35度18分06.1秒 東経136度48分06.5秒 / 北緯35.301694度 東経136.801806度座標: 北緯35度18分06.1秒 東経136度48分06.5秒 / 北緯35.301694度 東経136.801806度 |
地図 |
一宮城(いちのみやじょう)は、愛知県一宮市本町3丁目・大江にあった戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)。
歴史
[編集]築城時期は不明(天文・弘治年間〈1532年-1558年〉?)である。
尾張国の一宮である真清田神社神主である関成重が、真清田神社、及びその領地を守るために築城した。関氏は清和源氏の子孫である。森可成の娘が関小十郎右衛門共成に嫁いだ事から、森氏との関わりが深く、後に関氏から森氏に養子へ出されたり、家督を継ぐ事があった。
関成重の子である関共成(関長安とも)は、織田信長、豊臣秀吉に仕えたが、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いにて戦死する[2]。
その後、織田信雄の家臣である不破広綱が入城するが、1590年(天正18年)に彼が去ると一宮城は廃城となる。
城跡
[編集]城跡は、県遺跡番号02Y008として埋蔵文化財包蔵地になっており、JR尾張一宮駅の東約650メートルに位置する[1]。三菱UFJ銀行一宮支店の玄関先に石碑がある。周辺は本町商店街になっており、城の形跡は全くない。東西50メートル、南北90メートルの広さがあり土塁や堀で囲まれていたとされるが、埋蔵文化財包蔵地範囲は点的にしか示されていない[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 「愛知県文化財マップ(埋蔵文化財・記念物)」(マップあいち)愛知県公式HP
- ^ 一宮市市民健康部健康つくり課 2016 pp.34-35
参考文献
[編集]- 一宮市市民健康部健康つくり課 2016「15コース・尾張一宮駅前ビルから名所旧跡の散策」『一宮市ウォーキングマップ・歩いてのばそう健康寿命』pp.34-35 一宮市