一色政煕
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時代 | 室町時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 七郎(通称) |
官位 | 治部少輔、式部少輔 |
幕府 | 室町幕府 御部屋衆 |
主君 | 足利義政 |
氏族 | 一色氏(式部一色家) |
父母 | 父:上杉教朝、養父:一色義直?、一色持範? |
兄弟 | 上杉政憲、政煕 |
子 | 政具 |
概要
[編集]犬懸上杉家の上杉教朝の子・七郎は応永23年(1416年)に祖父・上杉禅秀の反乱(上杉禅秀の乱)によって京都に逃れていたが、足利義政によって一色義直もしくは一色持範の形式的な養子となり一色姓を名乗ることとなった(入名字)[1][2]。
長禄4年(1460年)には幕府の命令によって越前国野田本郷代官職及び同郷内元興寺領代官職を知行することとなっており、4月2日には足利義政の御教書が発給されている[3]。
脚注
[編集]- ^ 設楽薫「足利将軍が一門の「名字」を与えること-将軍側近職制の展開との関連において」初出:『姓氏と家紋』56号、1989年/所収:木下昌規 編『シリーズ・室町幕府の研究 第5巻 足利義政』(戒光祥出版、2024年)ISBN 978-4-86403-505-7)。2024年、P240-249.
- ^ 木下昌規「総論 足利義政の権力と生涯」『足利義政』戎光祥出版〈シリーズ・室町幕府の研究 第5巻〉、2024年5月、56-57頁。ISBN 978-4-86403-505-7。
- ^ 福井県『福井県史』通史編2 中世(福井県、1994年)