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七人の眠り聖人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七人の眠り聖人
Seven sleepers
『バシレイオス2世の聖人暦 (Menologion of Basil II』に描かれた挿絵
崇敬する教派 東方教会
ラテン教会
イスラム教
列聖日 列聖
記念日 6月27日
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デキウスが七人の眠り聖人を閉じ込めるよう命じたところ[1]。14世紀の写本より

七人の眠り聖人(ななにんのねむりせいじん、アラビア語: أصحاب الكهف‎)[注釈 1]とは、キリスト教イスラム教の伝承で宗教迫害を免れるため西暦250年頃にエフェソス郊外の洞窟内に隠れ、約300年後に姿を現した若者達の物語である[3]

最初期の物語形式はシリアの司教サルーグのヤコブ(約450-521)から伝来したもので、それ自体さらに昔のギリシア時代の書物から派生したものとされるが、こちらは現在見つかっていない[4]。このおとぎ話の概要は、トゥールのグレゴリウス(538-594)の著書やパウルス・ディアコヌス(720-799)の『ランゴバルド史』に掲載されている[5]。最も知られている西洋版の物語はヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』に掲載されたものである。

少なくとも中世の9言語で記述が発見されており、主に9世紀から13世紀にかけての年代で、200を超える写本に保存されている[注釈 2]。13世紀には、詩人シャルドリ古フランス語版を綴った。この物語はコーラン洞窟のスーラ18:9-26)にも登場しており、こちらはペルシャ語キルギス語タタール語でも翻訳された[8]

ローマ殉教史 (Roman Martyrologyが、エフェソスの七人の眠り聖人に言及しているのは7月27日(第二バチカン暦によると6月)という日付である[9]ビザンティン暦は8月4日と10月22日に祝祭を行って彼らを祝う。9世紀のアイルランド暦Félire Óengussoは8月7日に七人の眠り男を祝う[10]シリア正教会の暦には、4月21日、8月2日、8月13日、10月23日、10月24日など、様々な日付が記載されている。

伝承のぶれ

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初期版は眠り聖人の人数が全て一致しているわけではなく、明示すらしていないものもある。ユダヤ教徒やナジュラーンのキリスト教徒は3人兄弟だと信じていたし、東シリアでは5人だと考えられていた[6]。シリア語記述の大半では8人となっている。タバリーは、7,8または9人に犬を1匹付け加えている[8]。ムスリム正典の記述では、7人に加えて1匹の犬(名前はar-Raqīmか Qiṭmīr)となっている[6]

眠り聖人が寝ていた年数も記述によってまちまちである。トゥールのグレゴリウスでは最も長期間の373年間となっており、ヤコブス・デ・ウォラギネは196年間と算出した(252年から448年まで)[6]。それ以外の計算では195年間と示唆されている[8]。コーランを含むイスラムの記述では、睡眠が309年間となっているが、これは恐らく太陰暦(1年=約354日)なので太陽暦に直すと299年間となる[6]

眠り聖人たちの名前に関して、Bartłomiej Grysaは少なくとも設定を7種類挙げている[6]

  • マクシミリアン、マルクス、マルティニアン、ディオニシウス、ジョン、セラピオン、コンスタンティヌ、アンソニーの8名。
  • マルクス、マクシミリアン、マルティニアン、ディオニシウス、ジョン、セラピオン、コンスタンティヌの7名。
  • ヤンブリク(イアンブリカス)、マクシミリアン、マルクス、マルティニアン、ディオニシウス、ジョン、コンスタンティヌ、アンソニーの8名。
  • アキリデス、ディオメデス、ディオゲヌス、プロバトゥス、ステファヌス、サンバトゥス、キリアクスの7名。(トゥールのグレゴリウスによると)
  • ヤムリーナー(ヤムニーフ)、マクティーミリーナー(マクシミリーナー,マフシミリーナー)、ミスリーナー、マルヌース(マルトゥース)、サドゥヌース、ダブラヌース(ビーローノス)、カファスタテュース(クソートーノス)、サモーノス、ブトーノス、クァーロスの10名。(タバリーやアル=ダミリによると)
  • イキリオス、ディオニシオス、イスティファノス、フルクティス、セバストス、キリアコスの6名。(シリアのミカエルによると)
  • アルセリーティス、ディオーメンティオス、サバスティオス、プロバティオス、アヴヘニオス、スタファントス、キーリアコスの7名。(コプト語版によると)

起源

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最初の記述がシリア語で書かれていたのか又はギリシャ語なのかは議論の余地が残る問題だが、今のところギリシャ語が最初という説が一般的に受け入れられている[6][8]。518年から531年にかけて書かれた巡礼記『De situ terrae sanctae』が、エフェソスの眠り聖人に捧げられた教会の存在を記録している。[8]

この物語はグレゴリウスの生前にも幾つかのシリア語書物に登場していた。最初期のシリア語の写本はサンクトペテルブルク第4写本(MS Saint-Petersburg no. 4)で、5世紀に遡る[8]。これはシメオン・メタフラストによって書き直された。七人の眠り聖人は、エデッサの詩人かつ神学者のサルーグのヤコブ (521年没)[11]による詩の中で説法の題材になっており、これは『聖人行伝 (Acta Sanctorum』で発表された。もう一つある6世紀の書物は大英博物館にあるシリア語写本(Cat. Syr. Mss, p. 1090)だが、眠り聖人は8人となっている。

キリスト教の解釈

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物語

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19世紀ドイツで献呈された七人の眠り聖人の絵画。文言はドイツ語で「我々に祈りなさい、聖なる七人の眠り聖人」と書かれている

この物語は、ローマ皇帝デキウスによる迫害時期の西暦250年頃、七人の若者がキリスト教信仰で罪に問われたことを伝えている。彼らにはその信仰を改宗する時間を与えられたが、彼らはローマの偶像に屈することを拒んだ。 代わりに彼らは自分達の世俗的な物品を貧しい人々に与えることを選択し、お祈りのため山の洞窟に隠居すると、そこで彼らは眠りに落ちた。皇帝は、邪教に従う彼らの態度が改善しなかったことを確認し、洞窟の入口を塞ぐよう命じた[1]

ドイツの教会(Siebenschläferkirche (Rotthof))にある墓石

デシウスは251年に死去し、キリスト教が迫害からローマ帝国の国教になるまでの長い歳月が経った。もう少し後の時代、一般にテオドシウス2世(408-450)の治世期と考えられる西暦447年、様々なキリスト教学校で審判の日における肉体の復活と来世 について白熱した議論が行われていた頃、地主が牛舎として洞窟を使おうと考えて封鎖されていた入口を開けることを決断した。彼が入口を開けると中で眠っている人達を見つけた。彼らは目を覚ますと、1日ぶん寝ていたと考え、注意するよう指示しつつ食料を買うため自分達の1人をエフェソスに送りだした[11]

街に到着するや、この人物は十字架を設置してある建物を見つけて驚いた。周りにいた町民は、デシウス治世時の古い硬貨を使おうとする男性を見つけて驚いた。司教が呼ばれてこの眠っていた者達に接見すると、彼らは自分達の奇跡の話を司教に伝え、神を礼賛して死んでいった。七人の眠り聖人に関する様々な伝記はギリシャ語で列記されていたり、非ラテン語ではBHO (Bibliotheca Hagiographica Orientalisという聖人伝に収められている[12]

普及

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この物語がキリスト教世界全体に急速に広まったのは、6世紀後半の『De gloria martyrum(殉教者の栄誉)』という奇跡集で、トゥールのグレゴリウスによって西洋で一般的となった[11]。グレゴリウスは「とあるシリア語翻訳者」からこの話を得たと主張したが、これはレバント出身のシリア語かギリシャ語話者のいずれかを指している可能性があるという[8]十字軍の時代に、エフェソス近郊にある墓から出土した骨が七人の眠り聖人の遺骨と判定され、大きな石棺でマルセイユ (フランス)に輸送されるとサン・ヴィクトール修道院 (Abbey of St Victor, Marseilleに戦利品として保管された。

七人の眠り聖人は、中世後期に最も普及した『黄金伝説』という書誌に掲載されており、同書は彼らの目覚めた正確な歳月をテオドシウス治世の西暦478年と定義した[13][14]

イスラム教

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洞窟の仲間たち(アシャブ・アル・カハフ)の物語はコーランのスーラ18(9-26節)で言及されている[15]。 眠り聖人の正確な人数は明記されていない。さらにコーランでは、事件が起こって間もなく洞窟に何人いたかについて人々が「根拠のない当て推量」をし始めた事実を指摘している。これについてコーランは「私の支持者は彼らが何人だったのか一番よく知っている」[16]と断言している。同じく洞窟に滞在していた正確な期間についても、コーランは人々の推測を「彼らは洞窟に300年と足して9年間とどまっていた」と主張した後で「神は彼らがどれだけ長くとどまっていたのか一番よく知っている」と述べている[17]。コーランでは、眠り聖人には洞窟の入口に座っていた犬が含まれていた(18節)[18]と書かれている。

七人の眠り聖人の洞窟

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この伝説の最初期版がエフェソスから広まったため、初期キリスト教のカタコンベがそれに関連付けられるようになり、多くの巡礼者を惹きつけた。1927-28年にエフェソス近くのピオン山(セリアン山)の斜面(現:トルコのセルチュク付近)で、七人の眠り聖人の洞窟がその上に建てられた宗教遺跡と共に発掘された。この発掘は5-6世紀における数百の墓を明らかにした。その壁面や墓の中で七人の眠り聖人に捧げられた碑文が発見された。この洞窟は現在も観光客に公開されている。

ヨルダンのアンマン付近にある洞窟も七人の眠り聖人の洞窟として知られており、その内部には7つの墓があり洞窟からは通気口が延びている[19][20]

近現代文学

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近世

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16世紀のプロテスタント文化ではこの記述が諺になっていた。詩人ジョン・ダンは以下のように尋ねている。

私は知りたい、自らの貞節の誓いにより、私達が愛するまで貴方と私は何をしていたのか?
その時で私達は引き離されてはいなかったのか?
そうではなく、幼稚にも、田舎の楽しみに浸っていたのか?
あるいは、七人の眠り聖人の洞穴で私達は鼻を鳴らしていたのか?
 -ジョン・ダン作「良き明日を (The Good-Morrow

ジョン・ヘイウッドによる1530年代の『4つのPPと呼ばれる劇』に出てくる、免罪符売り( これはチョーサー免罪符売りの話をルネッサンス期に刷新したもの)は自分の仲間に「スリッパーなる七人の眠り聖人の1人」に口づけする機会を与えるが、その遺品は彼が所有する「三位一体の足の親指」や「ペンテコステの恥骨」といった供物と同じくらい不条理なものが提示される[21]

啓蒙時代では七人の眠り聖人に関するものは殆ど聞かれなかったが、ロマン主義の到来と共にその記述が復活した。『黄金伝説』が出典の可能性がある七人の眠り聖人の書き直しとして、トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』、ゲーテの詩、ワシントン・アーヴィングの『リップ・ヴァン・ウィンクル』、H・G・ウエルズの『The Sleeper Awakes』[注釈 3]などがある。そのほか『山で眠る王 (King asleep in mountain』のモチーフにも影響を与えた可能性がある。マーク・トウェインは『地中海遊覧記』第2巻の13章で七人の眠り男のバーレスクを行なった[23]

現代

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セルビアの作家ダニロ・キシュは著書 『死者の百科事典』に収蔵の短編小説「眠り聖人の伝説」で、七人の眠り聖人の物語を改作している。イタリアの作家アンドレア・カミッレーリは小説『テラコッタの犬』[注釈 4]にこの物語を取り入れている。

七人の眠り聖人は、スーザン・クーパーの『闇の戦い』シリーズ (The Dark Is Rising Sequenceの書籍2冊に登場する。 「灰色の王」作中で(主人公の)ウィル・スタントンが彼らを目覚めさせ、「樹上の銀」 作中で彼らは闇との最後の戦いに乗り込んでいく。

ギルバート・モリスによる七人の眠り聖人シリーズは物語に現代的作風を取り入れており、同作は核爆発が起きた後の世界で7人のティーンエイジャーが目を覚まして悪と戦うことを余儀なくされていく。

ジョン・バカンは『三人の人質』で七人の眠り聖人に言及しており、作中のリチャードハネイはよく眠る妻メアリーが愚かなる処女たちの1人と結婚した7人の末裔のうち1人なのではと邪推している。

ペルシャ系オランダ人作家カデル・アブドラは、2000年の著書『Spijkerschrift』[24]でイスラム版の物語を独自解釈している。

トルコの作家オルハン・パムクは、2001年の小説『わたしの名は赤』[注釈 5]の「私は犬」という章で、より具体的には犬の要素を通じてこの物語をほのめかしている。

言語的派生

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ウェールズ語では、遅起きの人が"saith cysgadur"(七人の眠り聖人)と呼ばれ、1885年のダニエル・オーウェンの小説『Rhys Lewis』などで見られる[25]

スカンジナビア語では、遅起きの人が"sjusovare" や"syvsover"(七人の眠り聖人)と呼ばれる場合がある[26] [27]

ハンガリー語でも同じことが当てはまり、"hétalvó"(七人の眠り聖人)は目覚めるのが最後の人であるとか、沢山眠ることで有名な人を指す[要出典]

アイルランド語では"Na seacht gcodlatáin"が冬眠中の動物を指す[28]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ この訳語と振り仮名は、中牧弘允編纂の『世界の暦文化事典』(キリスト教の祝祭文化も豊富に言及されている)に基づく[2]
  2. ^ 内訳としては、ラテン語写本が104、ギリシャ語40、アラビア語33、シリア語17、エチオピア語6、コプト語5、アルメニア語2、中世アイルランド語1、古英語1などが含まれる[6][7]。また、ソグド語にも翻訳されたという。
  3. ^ これは、日本だと1912年頃に黒岩涙香の翻案で『今より三百年後の社会』、そして1970年頃に中上守の訳出で『冬眠200年』という題名で刊行されている[22]
  4. ^ 幾つか日本語でも翻訳された彼の代表作、モンタルバーノ警部シリーズの作品。
  5. ^ 日本で2004年に刊行された和久井路子翻訳版は『わたしの名は紅(あか)』で、2012年の宮下遼訳出では『わたしの名は赤』という題名。詳細はオルハン・パムク#日本語訳を参照。

出典

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  1. ^ a b パブリックドメイン Fortescue, Adrian (1913). "The Seven Sleepers of Ephesus". In Herbermann, Charles (ed.). Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. 2015年3月14日閲覧
  2. ^ 中牧弘允(編)『世界の暦文化事典』丸善出版、2017年11月、219頁。索引「な」の位置に「七人の眠り聖人の日」が掲載されている。
  3. ^ 青島広志ヨーロッパの忘れもの』学研プラス、2011年12月9日、74頁
  4. ^ Pieter W. van der Horst (February 2011). Pious Long-Sleepers in Greek, Jewish, and Christian Antiquity (pdf). The Thirteenth International Orion Symposium: Tradition, Transmission, and Transformation: From Second Temple Literature through Judaism and Christianity in Late Antiquity. Jerusalem, Israel. pp. 14–5.
  5. ^ Liuzza, R. M. (2016). “The Future is a Foreign Country: The Legend of the Seven Sleepers and the Anglo-Saxon Sense of the Past”. In Kears, Carl; Paz, James. Medieval Science Fiction. King's College London, Centre for Late Antique & Medieval Studies. p. 66. ISBN 978-0-9539838-8-9 
  6. ^ a b c d e f g Bartłomiej Grysa, "The Legend of the Seven Sleepers of Ephesus in Syriac and Arab Sources: A Comparative Study", Orientalia Christiana Cracoviensia 2 (2010): 45-59.
  7. ^ Hugh Magennis, "The Anonymous Old English Legend of the Seven Sleepers and its Latin Source", Leeds Studies in English, n.s. 22 (1991): 43-56.
  8. ^ a b c d e f g Witold Witakowski, "Sleepers of Ephesus, Legend of the", in Gorgias Encyclopedic Dictionary of the Syriac Heritage: Electronic Edition, edited by Sebastian P. Brock, Aaron M. Butts, George A. Kiraz and Lucas Van Rompay (Gorgias Press, 2011; online ed. Beth Mardutho, 2018).
  9. ^ Martyrologium Romanum (Libreria Editrice Vaticana 2001 ISBN 88-209-7210-7)[要ページ番号]
  10. ^ Stokes, Whitley (1905). The Martyrology of Oengus the Culdee: Félire Óengusso Céli Dé url=https://archive.org/details/martyrologyoeng01stokgoog. Harrison and Sons. p. 4 
  11. ^ a b c Baring-Gould, Sabine. "The Seven Sleepers", Curious Myths of the Middle Ages, London. Rivington's, 1877, p. 94 この記述には、アメリカ合衆国内でパブリックドメインとなっている記述を含む。
  12. ^ Bibliotheca hagiographica orientalis”. Bruxellis, apud editores [Beyrouth (Syrie) Imprimerie catholique] (25 October 2018). 2020年5月30日閲覧。
  13. ^ The Seven Sleepers”. The Golden Legend. 6 January 2003時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月29日閲覧。 “It is in doubt of that which is said that they slept three hundred and sixty-two years, for they were raised the year of our Lord four hundred and seventy-eight, and Decius reigned but one year and three months, and that was in the year of our Lord two hundred and seventy, and so they slept but two hundred and eight years.”
  14. ^ Jacobus (1899). “XV - The Seven Sleepers”. In Madge, H.D.. Leaves from the Golden Legend. C.M. Watts (illustrator). pp. 174-175. https://books.google.com/books?id=EIMSAAAAYAAJ&pg=PA167#v=onepage&q&f=false. "It is doubt of that which is said that they slept ccclxii. years. For they were raised the year of Our Lord IIIICLXXXIII. And Decius reigned but one year and three months and that was in the year of our Lord CC and LXX., and so they slept but iic. and viii. years." 
  15. ^ Sura 18: The Cave (Al-Kahf)” (3 June 2009). 2020年5月29日閲覧。
  16. ^ The Message of the Quran, by M. Asad, Surah 18:22 
  17. ^ The Message of the Quran, by M. Asad, Surah 18:25-26 
  18. ^ Islam Folktales The Dog of Ashab Al-Kahf The 7 Sleepers (The People of The Cave); By Mega Hikari Aminah, Muham Taqra; [1]
  19. ^ THE SLEEPERS OF THE CAVE - THE QURAN, HISTORICAL SOURCES AND OBSERVATION, Joseph A Islam; www.quransmessage.com
  20. ^ [2];cave-of-the-seven-sleepers,
  21. ^ Gassner, John, ed (1987). Medieval and Tudor Drama. New York: Applause. p. 245. ISBN 9780936839844. https://archive.org/details/medievaltudordra00john 
  22. ^ アットワンダー、海外SFジュヴナイル・偕成社SF名作シリーズ、H・G・ウェルズ『冬眠200年』、神保町の古書店 @ワンダーのブログ、2015年7月24日。2020年5月29日閲覧。
  23. ^ Samuel Clements (1976). Lawrence Teacher. ed. The Unabridged Mark Twain. Philadelphia PA: Running Press. pp. 245-248. https://archive.org/details/unabridgedmarktw02twai 
  24. ^ Abdolah, Kader (2006) (English). Spijkerschrift [My Father's Notebook] 
  25. ^ 作中の主人公が37章で言及している。 (Hughes a'i Fab, Caerdydd, 1948) p. 294
  26. ^ https://www.saob.se/artikel/?seek=sjusovare+&pz=1#U_S2777_48588
  27. ^ The Language Council of Norway's dictionary [3]
  28. ^ Foclóir Gaeilge-Béarla (Ó Dónaill, 1977)[4]

外部リンク

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