七宝町遠島
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七宝町遠島 | |
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北緯35度10分52.94秒 東経136度48分3.49秒 / 北緯35.1813722度 東経136.8009694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | あま市 |
面積 | |
• 合計 | 0.912589031 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 2,304人 |
• 密度 | 2,500人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
497-0002[WEB 3] |
市外局番 | 052[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋[WEB 5] |
七宝町遠島(しっぽうちょうとおしま)は、愛知県あま市の地名。
地理
[編集]河川・池沼
[編集]- 福田川
- 小切戸川
交通
[編集]施設
[編集]- あま市立宝小学校
- 啓明学館高等学校七宝キャンパス
- 八幡神社
- 安了寺
- あま市七宝焼アートヴィレッジ
- 海部東部消防組合消防本部
- 七宝郷土資料館
- あま市立七宝北中学校
- 七宝テニスコート
歴史
[編集]地名の由来
[編集]海岸線から見て遠いヨシ山のことを指すとも、藤島(ふじしま)神社を「とおしま」と読んだことによるともいう[1]。
沿革
[編集]- 戦国時代 - 信雄分限帳には「トオシマ村」との記録があるが、当村かどうかは不明[1]。
- 江戸時代 - 尾張国海東郡の遠島村として所在[1]。尾張藩領、清洲代官所支配[1]。
- 1878年(明治11年) - 大切戸新田の一部を編入[1]。
- 1889年(明治22年) - 市制町村制による海東郡遠島村となる[1]。
- 1890年(明治23年) - 宝村大字遠島となる[1]。
- 1906年(明治39年) - 七宝村大字遠島となる[1]。
- 1966年(昭和41年) - 七宝町大字遠島となる[1]。
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人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 948世帯 3191人 |
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2000年(平成12年)[WEB 7] | 957世帯 2992人 |
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2005年(平成17年)[WEB 8] | 949世帯 2837人 |
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2010年(平成22年)[WEB 9] | 963世帯 2725人 |
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2015年(平成27年)[WEB 10] | 948世帯 2515人 |
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2020年(令和2年)[WEB 2] | 927世帯 2304人 |
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県あま市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、七宝町遠島に関するカテゴリがあります。