七戸町立七戸小学校
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七戸町立七戸小学校 | |
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北緯40度42分21.6秒 東経141度09分13.1秒 / 北緯40.706000度 東経141.153639度座標: 北緯40度42分21.6秒 東経141度09分13.1秒 / 北緯40.706000度 東経141.153639度 | |
過去の名称 |
第七大学区一六中学区一番小学 七戸小学 七戸尋常小学校 七戸尋常高等小学校 七戸国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 七戸町 |
併合学校 |
川目簡易小学校 野々上簡易小学校 鶴児平小学校 倉岡小学校 |
設立年月日 | 1872年8月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B102210002088 |
所在地 | 〒039-2526 |
青森県上北郡七戸町字上町野130番地 | |
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七戸町立七戸小学校(しちのへちょうりつ しちのへしょうがっこう)は、青森県上北郡七戸町字上町野にある公立小学校である。
概要
[編集]- 本校は、七戸町の旧町域北部にあり、七戸川以北の区域が学区となっている。
所在地
[編集]- 青森県上北郡七戸町字上町野130番地
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1872年(明治5年)8月15日 - 第七大学区第十六番中学区第一番七戸小学として創立[1]。
- 1874年(明治7年)- 七戸小学と改称。
- 1882年(明治18年) - 字萩沢に川目分校設置。
- 1886年(明治19年)- 元・郡立中学校校舎に移転し、七戸尋常小学校と改称。同年、川目分校が独立し、川目簡易小学校と改称。
- 1891年(明治24年) - 新校舎竣工移転。
- 1892年(明治25年) - 川目簡易小学校を併合、西野分校設置。野々上簡易小学校を併合、荒屋分校設置。同年、高等科を併置し、七戸尋常高等小学校と改称。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 七戸村の町制施行により、七戸町立七戸尋常高等小学校と改称。
- 1908年(明治41年)
- 1909年(明治42年)10月10日 - 鶴児平分教場設置。
- 1911年(明治44年) - 西野・荒屋両分教場設置。
- 1914年(大正3年)4月1日 - 鶴児平分教場に倉岡分教室設置。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 鶴児平分教場倉岡分教室が、倉岡分教場に改称。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 荒屋分教場に寺下分教室設置。
- 1925年(大正14年)10月 - 第二校舎新築落成。
- 1926年(大正15年) - 七戸実科高等女学校併置。
- 1930年(昭和5年)5月5日 - 校歌制定。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 荒屋分教場が昇格・独立し、野々上尋常小学校と改称。寺下分教室は野々上尋常小学校の分教場になる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、七戸国民学校と改称。
- 1946年(昭和21年)3月31日 - 七戸高等女学校を分離。
- 1947年(昭和22年)
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 七戸川以南の学区を、新設の城南小学校に移管。
- 1967年(昭和42年)
- 4月1日 - 鶴児平小学校を併合。
- 9月1日 - 上町野130番地(現在地)に、校舎建築着工。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)10月8日 - 新校舎落成記念を七戸町教育100周年記念式典と兼ねて挙行。
- 1972年(昭和47年) - プール建築[2]。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 倉岡小学校を統合。
- 2004年(平成16年) - 校舎改築[2]。
学区
[編集]城内・荒町・上町・東大町・横町・下町・袋町・南浦・柏葉町・大荒・作田川目・牧場・倉岡川目・すわ牧場
アクセス
[編集]- 路線バス
- 七戸小学校前バス停から、徒歩約160m・約3分。
- 変電所前バス停から、徒歩約480m・約8分。
- JR東日本東北新幹線七戸十和田駅から、車で約2.5km・約4分。
- 七戸町役場
- 七戸庁舎(旧:七戸町役場)から、約1.6km・車で約3分、徒歩で約25分。
- 本庁舎(旧:天間林村役場)から、車で約5.3km・約10分。
周辺
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日)808~809頁「学校沿革 小学校 七戸小学校」
- 『七戸町史 第4巻』(七戸町・1986年8月1日)「第一二章、第一〇篇 教育、第三節 一〇〇年の伝統、一 七戸小学校」
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Gaccom七戸町立七戸小学校
- 七戸町沿革〔七戸町史〕