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七条城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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七条城
徳島県
城郭構造 平城
築城主 七条孫大夫[1]
築城年 戦国時代[1]
主な城主 七条兼仲
廃城年 天正10年 (1582年)
遺構 石垣・井戸・城址石碑
指定文化財 上板町文化財[2]
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七条城(しちじょうじょう)は、徳島県板野郡上板町七條にあった日本の城

歴史

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勝瑞城の西の守りを固める支城だった。天正10年 (1582年)、長宗我部元親の侵攻による中富川の戦いで、城主・七条兼仲が戦死し、勝瑞城と共に落城した[1]

現在、城の主要部分は、宮川内谷川の川底となっているとみられる。堤防の南側に古い石垣と井戸が残っており、地元の伝承では古城の遺跡だとされている[3]

かつては、城跡から数十メートル南方に七条兼仲を祭る若宮神社があったが、1912年大正元年)松島神社に合祀された[3]。神社取り壊しの際に、「兼仲祖父 七条孫大夫隼人介 永正十六年(1519年)卒…」と書かれた墓石が発掘された[1]

1974年昭和49年)、上板町指定文化財に指定され、北岸堤防外側に城跡を示す碑が建てられた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本城郭大系 15巻』新人物往来社、p.191
  2. ^ a b 『上板町史 下巻』1985年、p.1124
  3. ^ a b 『上板町史 上巻』1983年、pp.339f

関連項目

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