七条城
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七条城 (徳島県) | |
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城郭構造 | 平城 |
築城主 | 七条孫大夫[1] |
築城年 | 戦国時代[1] |
主な城主 | 七条兼仲 |
廃城年 | 天正10年 (1582年) |
遺構 | 石垣・井戸・城址石碑 |
指定文化財 | 上板町文化財[2] |
七条城(しちじょうじょう)は、徳島県板野郡上板町七條にあった日本の城。
歴史
[編集]勝瑞城の西の守りを固める支城だった。天正10年 (1582年)、長宗我部元親の侵攻による中富川の戦いで、城主・七条兼仲が戦死し、勝瑞城と共に落城した[1]。
現在、城の主要部分は、宮川内谷川の川底となっているとみられる。堤防の南側に古い石垣と井戸が残っており、地元の伝承では古城の遺跡だとされている[3]。
かつては、城跡から数十メートル南方に七条兼仲を祭る若宮神社があったが、1912年(大正元年)松島神社に合祀された[3]。神社取り壊しの際に、「兼仲祖父 七条孫大夫隼人介 永正十六年(1519年)卒…」と書かれた墓石が発掘された[1]。
1974年(昭和49年)、上板町指定文化財に指定され、北岸堤防外側に城跡を示す碑が建てられた[2]。