七飯町立精進川小中学校
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七飯町立精進川小中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 七飯町 |
設立年月日 | 1951年 |
閉校年月日 | 1959年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
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所在地 | 〒041-1351 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
七飯町立精進川小中学校(ななえちょうりつ しょうじんがわしょうちゅうがっこう)は、北海道亀田郡七飯町にあった、小中併設校である。
概要
[編集]現在の七飯町の観光地「大沼」の近くにある東大沼地区付近に該当する。精進川鉱山(後述)が中心だった精進川地区にあった小中学校で、鉱山社員の家族などが主だった。
沿革
[編集]- 1947年 - 精進川鉱山の社員の家族などの子弟の教育のため、銚子口小学校[1]精進川分校が開校する。
- 1951年 - 七飯町立精進川小学校として独立。
- 1953年2月1日 - 大沼中学校から精進川中学校が独立[2]・併設。小中併設校になる。
- 1961年 - 1959年に精進川鉱山が閉山したため、児童数が減少し閉校。
跡地
[編集]- 周辺に地区の紹介も含めて、平成8年に看板が設置されている。
精進川鉱山
[編集]上述の精進川小中学校付近にあった鉱山で、「精進川坑」と「雨鱒川(あめますかわ)坑」の2つの鉱床の総称である。
沿革
[編集]- 1937年
- 昭和製鉄株式会社が創立され、褐鉄鉱の採取が開始。
- 1942年
- 硫黄鉱床の発見・採掘を機に、日本硫鉄株式会社と改称する。硫黄精錬を開始する。
- 1943年
- 隣接する鹿部鉱山を買収し、雨鱒川鉱山と称した。
- 硫黄と鉱石は索道で中継し、池田園駅から大沼電鉄によって積み出された。
- 1959年
- 企業の経営不振により、閉山。
跡地
[編集]地区名の由来
[編集]- 以前、お坊が住みついて修行をしていて、ある時、グミを食べていたところ、付近の村人が筋子を食べていると勘違いしてお坊は責められ、お坊は無実を証明するために、法力で魚を住めなくしてしまった。
- お坊は生臭いものを食べてはいけなくて、精進料理を食べていた。そこで、魚のいない川を「精進川」と名付けていた。
諸説あるが、いずれにしても付近の川の魚に関係することが由来となっている。
脚注
[編集]- ^ 現在,七飯町立東大沼小学校。
- ^ 七飯町立大沼中学校 七飯町教育委員会 2018年9月22日閲覧。
- ^ “廃鉱埋め尽くす、きらめく氷筍…北海道・七飯町”. 読売新聞 (2020年3月17日). 2020年3月17日閲覧。