三ツ山古墳
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三ツ山古墳 | |
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墳丘(右に後円部、左奥に前方部) | |
別名 | 三ッ山古墳 |
所在地 |
愛知県豊橋市牟呂町字坂津 (三ツ山児童公園内) |
位置 | 北緯34度45分34.45秒 東経137度21分42.93秒 / 北緯34.7595694度 東経137.3619250度座標: 北緯34度45分34.45秒 東経137度21分42.93秒 / 北緯34.7595694度 東経137.3619250度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長37m |
埋葬施設 |
後円部:横穴式石室 前方部:無袖式横穴式石室 |
出土品 | 大刀・短刀・馬具・鉄鏃・須恵器・土師器・埴輪 |
築造時期 | 6世紀前半 |
史跡 | なし |
地図 |
三ツ山古墳(みつやまこふん、三ッ山古墳)は、愛知県豊橋市牟呂町にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]愛知県東部、豊川下流域左岸の低位段丘縁辺部に築造された古墳である。かつては周辺に小古墳6基が分布したが、現在は本古墳のみが遺存する[1]。1998-2000年度(平成10-12年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面では円筒埴輪・形象埴輪(人物埴輪)が検出されている[2]。また墳丘周囲には周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は、後円部・前方部における横穴式石室各1基である。後円部石室は大きく破壊されているが、前方部石室は無袖式の石室であり、大刀1・短刀1・馬具(轡1)・鉄鏃50本以上・須恵器(脚付有蓋壺・提瓶)・土師器(壺)が検出されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される[2]。
現在では石室は埋め戻されている。
遺跡歴
[編集]- 測量調査(豊橋市教育委員会、1993年に報告)。
- 1998-2000年度(平成10-12年度)、発掘調査(豊橋市教育委員会、1999・2000・2001年に概報刊行)。
- 2022年度(令和4年度)、発掘調査(豊橋市文化財センター)。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:37メートル(または36メートル[1])
- 後円部 直径:18.5メートル
- 前方部 幅:28メートル
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大刀
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馬具 矩形立聞環状鏡板付轡
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馬具・鉄鏃・短刀
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須恵器
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須恵器 脚付有蓋壺
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円筒埴輪
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形象埴輪
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(豊橋市教育委員会、2012年設置)
- 服部哲也「三ツ山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「三ツ山古墳」『古墳測量調査1(豊橋市埋蔵文化財調査報告書 第17集)』豊橋市教育委員会、1993年。
- 『三ツ山古墳調査概要(I)-平成10年度-』豊橋市教育委員会、1999年。
- 『三ツ山古墳調査概要(II)-平成11年度-』豊橋市教育委員会、2000年。
- 『三ツ山古墳調査概要(III)-平成12年度-』豊橋市教育委員会、2001年。
外部リンク
[編集]- 三ツ山古墳 - 豊橋市美術博物館