三善清之
表示
三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日[1](1860年1月8日) - 昭和17年(1942年)11月19日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、土木技術者。
経歴
[編集]香川県丸亀市出身。1878年(明治11年)、大阪府師範学校を卒業し、小学校訓導となった[2]。その後、陸軍士官学校に入学し、1884年(明治17年)に卒業[2]。工兵中尉として熊本鎮台工兵大隊副官を務めた[3]。免官後、藤田伝三郎・大倉喜八郎が共同出資する日本土木会社(のち大倉組)社員となり、東京湾砲台建設、紀淡海峡砲台建設、東京湾の浚渫と月島埋め立てなどを手掛けた[3]。1897年(明治30年)、内務省官吏となり、岡山県技師に任じられた[3]。岡山県土木課長として児島湾開墾・宇野港築港を担当した[2]。その後、丸亀市長に選出されたが、辞退して就任しなかった[2]。
1907年(明治40年)、衆議院補欠選挙で当選[4]。第14回衆議院議員総選挙と第15回衆議院議員総選挙でも当選を果たした。 1927年(昭和2年)、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、文書毀棄の容疑で起訴されるも、同年12月16日に無罪判決を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。