三国相国、丞相、司徒の一覧
三国相国・丞相・司徒の一覧は中国三国時代 (213年から280年)において魏(および魏朝下の晋)・蜀漢・呉の三国で百官の頂点である相国・丞相・司徒の官位に就いた人物の一覧である。
洪飴孫『三国職官表』には以下のように書かれている。「魏の相国・上公は一人。第一品に遇せられ、皇帝の政務を輔けた。建安十八年(213年)に魏国は初めて丞相を置いた。建安二十一年(216年)には相国に改め、黄初元年(220年)には司徒に改めた。甘露五年(260年)に相国の官を復活させた。魏の時代、この官に任じられた者は四人である。
蜀では丞相が章武元年に置かれ、建興元年(223年)丞相府が開府された。軍務から国事まで大小全て裁決した。諸葛亮亡き後は丞相は空位であり、実質諸葛亮一人の官職であった。
呉では丞相が黄武元年(222年)に初めて置かれ、宝鼎元年(266年)に左右に分けて置かれた。建衡二年(270年)には1人に戻され、十一人がその官に就いた。」
また、同書によると、「魏の司徒は一人が任ぜられ、第一品とされ主に民事を担当した。魚豢曰く『契が司徒と為るや、百姓和親し、夔が主となりて客を賓すれば、遠人至り畢る。是れ其の職なり。』と。黄初元年、相国が司徒に改められ太尉と司空を合わせて三公と称された。この官に就いた者は十一人。
蜀も同じく章武元年(221年)に置かれ、この官に就いた者は一人である。
呉も同職があり宝鼎三年(268年)に置かれこの官に就いた者は四人であった」
相国/丞相
[編集]魏
[編集]代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 魏王 |
後漢魏国相国(213年-220年) | |||||
1 | 定陵成侯 | 鍾繇[1] | 3年 | 216年-219年 | 献帝 曹操 |
2 | 博平敬侯 | 華歆 | 1年 | 220年 | 献帝 曹丕 |
220年改官司徒,260年復置。 | |||||
曹魏相国(220年-265年) | |||||
3 | 晋文王[2] | 司馬昭 | 5年 | 260年-265年 | 高貴郷公曹髦 元帝 |
4 | 晋王[3] | 司馬炎 | 1年 | 265年 | 元帝 |
251年には司馬懿も相国に任命されるがこれを受けず、没後あらためて追封された。
晋国(魏朝下)
[編集]『晋書』巻三・帝紀第三・世祖武帝より:「(咸熙二年)九月戊午,以魏司徒何曾為(晋国)丞相……」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 晋王 |
曹魏晋国丞相(258年-265年) | |||||
1 | 朗陵侯[4] | 何曾 | 1年 | 265年 | 元帝 司馬炎 |
蜀漢
[編集]『三国志』蜀書・先主伝より:「章武元年夏四月,大赦,改年。以諸葛亮為丞相,許靖為司徒。」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 |
蜀漢丞相(221年-263年) | |||||
1 | 武郷忠武侯 | 諸葛亮 | 13年 | 221年-234年,其中228—229年間以右将軍行丞相事 | 昭烈帝 後主 |
代行 | 顕明亭侯 | 向朗 | 1年未満 | 238年 | 後主 |
呉
[編集]『三国志』呉書・呉主伝より:「(黄武)四年夏五月,丞相孫邵卒。」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 |
東呉丞相(222年-280年) | |||||
1 | 陽羨粛侯 | 孫邵 | 3年 | 222年-225年 | 大帝 |
2 | 醴陵粛侯 | 顧雍 | 18年 | 225年-243年 | |
3 | 江陵昭侯 | 陸遜 | 1年 | 244年-245年 | |
4 | 臨湘侯 | 歩騭 | 1年 | 246年-247年 | |
5 | 陽都侯 | 諸葛恪 | 1年 | 252年-253年 | 少帝 |
6 | 富春侯 | 孫峻 | 3年 | 253年-256年 | |
代行 | (県侯) | 孫恩 | 1年未満 | 257年 | |
7 | 永寧侯 | 孫綝 | 1年 | 258年 | 景帝 |
8 | 外黄侯 | 濮陽興 | 2年 | 262年-264年 | 景帝 末帝 |
9左 | 嘉興侯 | 陸凱 | 3年 | 266年-269年 | 末帝 |
9右 | 無 | 万彧 | 6年 | 266年-272年 | |
守丞相 | 無 | 孟仁 | 1年 | 267年 | |
10 | 無 | 許沇[5] | 不詳 | ?-276年-? | |
11 | 山都侯 | 張悌 | 1年 | 279年-280年 |
司徒
[編集]魏
[編集]『三国志』魏書・文帝紀より:「(黄初元年十一月癸酉)改相国為司徒,御史大夫為司空,奉常為太常,郎中令為光禄勲,大理為廷尉,大農為大司農。」『魏書』鍾繇華歆王朗伝より:「另文帝即王位,拜(華歆)相国,封安楽郷侯。及践阼,改為司徒。」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 |
曹魏司徒(220年-265年) | |||||
1 | 博平敬侯 | 華歆 | 6年 | 220年-226年 | 文帝 |
2 | 蘭陵成侯 | 王朗 | 1年 | 226年-228年 | 文帝 明帝 |
3 | 楽平定侯 | 董昭 | 6年 | 230年-236年 | 明帝 |
4 | 高陵貞侯 | 陳矯 | 1年 | 237年 | |
5 | 南郷恭侯 | 韓曁 | 1年 | 238年 | |
6 | 長垣敬侯 | 衛臻 | 10年 | 238年-248年 | 明帝 斉王曹芳 |
7 | 安国元侯 | 高柔 | 7年 | 249年-256年 | 斉王曹芳 高貴郷公曹髦 |
8 | 寿光侯[6] | 鄭沖 | 7年 | 256年-263年 | 高貴郷公曹髦 元帝 |
9 | (県侯) | 鍾会 | 1年 | 264年 | 元帝 |
10 | 朗陵侯[4] | 何曾 | 1年 | 264年-265年 | |
11 | 順陽侯[7] | 司馬望 | 1年 | 265年 |
蜀漢
[編集]『三国志』蜀書・先主伝より:「章武元年夏四月,大赦,改年。以諸葛亮為丞相,許靖為司徒。」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 |
蜀漢司徒(221年-263年) | |||||
1 | 無 | 許靖 | 1年 | 221年-222年 | 昭烈帝 |
呉
[編集]『三国志』呉書・三嗣主伝より:「(宝鼎)三年春二月,以左右御史大夫丁固、孟仁為司徒、司空。」
代 | 爵位 | 姓名 | 在位年数 | 在位期間 | 皇帝 |
東呉司徒(222年-280年) | |||||
1 | 寿春侯 | 諸葛誕 | 1年 | 257年-258年 | 会稽王 |
2 | 無 | 丁固 | 5年 | 268年-273年 | 末帝 |
3 | 無 | 燮(姓は不明)[8] | 不詳 | ?-276年-? | |
4 | 無 | 何植 | 1年 | 279年-280年 |
脚注
[編集]
参考文献
[編集]関連項目
[編集]- 相国
- 丞相
- 司徒
- 前漢丞相、相国、大司徒の一覧 - 後漢相国、丞相の一覧 - 三国相国、丞相、司徒の一覧 - 晋朝相国、丞相の一覧 - 十六国相国、丞相の一覧 - 南朝相国、丞相の一覧 - 北朝相国、丞相の一覧