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三国相国、丞相、司徒の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三国相国・丞相・司徒の一覧は中国三国時代213年から280年)において(および魏朝下の)・蜀漢の三国で百官の頂点である相国丞相司徒の官位に就いた人物の一覧である。

洪飴孫『三国職官表』には以下のように書かれている。「魏の相国・上公は一人。第一品に遇せられ、皇帝の政務を輔けた。建安十八年(213年)に魏国は初めて丞相を置いた。建安二十一年(216年)には相国に改め、黄初元年(220年)には司徒に改めた。甘露五年(260年)に相国の官を復活させた。魏の時代、この官に任じられた者は四人である。
蜀では丞相が章武元年に置かれ、建興元年(223年)丞相府が開府された。軍務から国事まで大小全て裁決した。諸葛亮亡き後は丞相は空位であり、実質諸葛亮一人の官職であった。
呉では丞相が黄武元年(222年)に初めて置かれ、宝鼎元年(266年)に左右に分けて置かれた。建衡二年(270年)には1人に戻され、十一人がその官に就いた。」
また、同書によると、「魏の司徒は一人が任ぜられ、第一品とされ主に民事を担当した。魚豢曰く『契が司徒と為るや、百姓和親し、夔が主となりて客を賓すれば、遠人至り畢る。是れ其の職なり。』と。黄初元年、相国が司徒に改められ太尉と司空を合わせて三公と称された。この官に就いた者は十一人。
蜀も同じく章武元年(221年)に置かれ、この官に就いた者は一人である。
呉も同職があり宝鼎三年(268年)に置かれこの官に就いた者は四人であった」

相国/丞相

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爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
魏王
後漢魏国相国(213年-220年)
1 定陵成侯 鍾繇[1] 3年 216年-219年 献帝
曹操
2 博平敬侯 華歆 1年 220年 献帝
曹丕
220年改官司徒,260年復置。
曹魏相国(220年-265年)
3 晋文王[2] 司馬昭 5年 260年-265年 高貴郷公曹髦
元帝
4 晋王[3] 司馬炎 1年 265年 元帝

251年には司馬懿も相国に任命されるがこれを受けず、没後あらためて追封された。

晋国(魏朝下)

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『晋書』巻三・帝紀第三・世祖武帝より:「(咸熙二年)九月戊午,以魏司徒何曾為(晋国)丞相……」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
晋王
曹魏晋国丞相(258年-265年)
1 朗陵侯[4] 何曾 1年 265年 元帝
司馬炎

蜀漢

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『三国志』蜀書・先主伝より:「章武元年夏四月,大赦,改年。以諸葛亮為丞相,許靖為司徒。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
蜀漢丞相(221年-263年)
1 武郷忠武侯 諸葛亮 13年 221年-234年,其中228—229年間以右将軍行丞相事 昭烈帝
後主
代行 顕明亭侯 向朗 1年未満 238年 後主

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『三国志』呉書・呉主伝より:「(黄武)四年夏五月,丞相孫邵卒。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
東呉丞相(222年-280年)
1 陽羨粛侯 孫邵 3年 222年-225年 大帝
2 醴陵粛侯 顧雍 18年 225年-243年
3 江陵昭侯 陸遜 1年 244年-245年
4 臨湘侯 歩騭 1年 246年-247年
5 陽都侯 諸葛恪 1年 252年-253年 少帝
6 富春侯 孫峻 3年 253年-256年
代行 (県侯) 孫恩 1年未満 257年
7 永寧侯 孫綝 1年 258年 景帝
8 外黄侯 濮陽興 2年 262年-264年 景帝
末帝
9左 嘉興侯 陸凱 3年 266年-269年 末帝
9右 万彧 6年 266年-272年
守丞相 孟仁 1年 267年
10 許沇[5] 不詳 ?-276年-?
11 山都侯 張悌 1年 279年-280年

司徒

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『三国志』魏書・文帝紀より:「(黄初元年十一月癸酉)改相国為司徒,御史大夫為司空,奉常為太常,郎中令為光禄勲,大理為廷尉,大農為大司農。」『魏書』鍾繇華歆王朗伝より:「另文帝即王位,拜(華歆)相国,封安楽郷侯。及践阼,改為司徒。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
曹魏司徒(220年-265年)
1 博平敬侯 華歆 6年 220年-226年 文帝
2 蘭陵成侯 王朗 1年 226年-228年 文帝
明帝
3 楽平定侯 董昭 6年 230年-236年 明帝
4 高陵貞侯 陳矯 1年 237年
5 南郷恭侯 韓曁 1年 238年
6 長垣敬侯 衛臻 10年 238年-248年 明帝
斉王曹芳
7 安国元侯 高柔 7年 249年-256年 斉王曹芳
高貴郷公曹髦
8 寿光侯[6] 鄭沖 7年 256年-263年 高貴郷公曹髦
元帝
9 (県侯) 鍾会 1年 264年 元帝
10 朗陵侯[4] 何曾 1年 264年-265年
11 順陽侯[7] 司馬望 1年 265年

蜀漢

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『三国志』蜀書・先主伝より:「章武元年夏四月,大赦,改年。以諸葛亮為丞相,許靖為司徒。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
蜀漢司徒(221年-263年)
1 許靖 1年 221年-222年 昭烈帝

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『三国志』呉書・三嗣主伝より:「(宝鼎)三年春二月,以左右御史大夫丁固、孟仁為司徒、司空。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
東呉司徒(222年-280年)
1 寿春侯 諸葛誕 1年 257年-258年 会稽王
2 丁固 5年 268年-273年 末帝
3 燮(姓は不明)[8] 不詳 ?-276年-?
4 何植 1年 279年-280年

脚注

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  1. ^ 『三国志』魏書・武帝紀より:「(建安二十一年)八月,以大理鍾繇為相国。」
  2. ^ 入西晋尊封晋太祖文皇帝。
  3. ^ 265年受禅為西晋皇帝。
  4. ^ a b 入西晋封朗陵(孝)公。
  5. ^ 国山碑中的原文為“丞相沇”。梁章鉅推測可能叫許沇。梁章鉅『三国志旁証』:「又案[真誥]注[許長史世譜]云:呉丞相許晏,字孝然,長史四世族祖也。考許晏事呉,官至執金吾,未為丞相,嘉禾二年使遼東,為公孫淵所斬,時則顧雍方為丞相也。」
  6. ^ 入西晋封寿光(成)公。
  7. ^ 入西晋封義陽(成)王。
  8. ^ 『禅国山碑』:「……紀号天璽,用彰明命。於是丞相沇、太尉璆、大司徒燮、大司空朝……」


参考文献

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  • 三国志
  • 晋書
  • 万斯同『歴代史表』
  • 洪飴孫『三国職官表』
  • 梁章鉅『三国志旁証』
  • 『禅国山碑』

関連項目

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