コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

満福寺 (みよし市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三好稲荷閣から転送)
満福寺

本堂
所在地 愛知県みよし市三好町蜂ヶ池5
位置 北緯35度5分13.16秒 東経137度4分29.28秒 / 北緯35.0869889度 東経137.0748000度 / 35.0869889; 137.0748000 (満福寺)座標: 北緯35度5分13.16秒 東経137度4分29.28秒 / 北緯35.0869889度 東経137.0748000度 / 35.0869889; 137.0748000 (満福寺)
山号 東北山円蓮院(古称:石塔山)
宗旨 浄土宗
宗派 西山深草派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)天元5年(982年
開基 (伝)大江定基
中興年 享禄4年(1531年
中興 光空見桐
文化財 三好稲荷閣夏季大祭奉納行事(みよし市指定無形民俗文化財)
公式サイト 三好稲荷・満福寺
法人番号 6180305005992 ウィキデータを編集
満福寺の位置(愛知県内)
満福寺
満福寺
満福寺 (愛知県)
テンプレートを表示

満福寺(まんぷくじ)は、愛知県みよし市にある浄土宗寺院である。

歴史

[編集]

奈良時代に、行基救世観音を祀ったことが淵源とされる[1]

天元5年(982年)には、大江定基によって延暦寺の支院・大乗寺として開基・建立される[1]。近隣の山地一体を寺領として隆盛を誇ったとされるが、その後衰微する。

享禄4年(1531年)、大乗寺の跡地とされる場所(現在地)に光空見桐が念仏道場を建てて再興[2][注釈 1]。この時に浄土宗西山派の寺とし、山号・寺号を石塔山満福寺と改めた。

寛文6年(1666年)には勅願所綸旨を受け、山号を現在の東北山と改称[3]文久元年(1861年)には鎮守として吒枳尼天[注釈 2]が境内に遷座し、三好稲荷閣として整備された(後述)。

昭和18年(1943年5月、火災によって三好稲荷閣を含む堂宇・古文書を失った。現在の境内は、昭和45年(1970年)の現本堂再建以降、復興・整備されたものである。

境内

[編集]
三好稲荷閣 本殿(2016年8月)

三好稲荷閣

[編集]

境内西には寺の鎮守として吒枳尼天を祀る「三好稲荷閣」の本殿が建ち、その後方に並ぶ鳥居を進むと奥の院がある。

享保17年(1732年)、地元の庄屋・久野太郎右衛門が古くから近郊で祀られていた稲荷の祠3か所を合祀し、「三好稲荷」として陣取山(現・みよし市三好町陣取山)に遷した。文久元年(1861年)に、西大平藩主・大岡家帰依を得て、満福寺の境内に遷座し堂宇が建立されると、西三河から尾張美濃にかけて幅広い信仰を受けるようになった。

上述のとおり、昭和18年(1943年)5月の火災で本殿が焼失。仮堂での奉祀を経て、昭和57年(1982年)に現本殿が竣工した。

行事

[編集]
三好稲荷閣 鳥居(2016年8月)
  • 新年修正会、三好稲荷閣新年祭・初祈祷 - 1月1日
  • 三好稲荷閣進学就職祈祷 - 1月第3土曜日
  • 三好稲荷閣初午大祭 - 旧暦2月初午日ごろの日曜日
  • 宗祖法然上人御忌会 - 2月下旬
  • 春彼岸会 - 春分の日
  • 派祖深草忌会 - 4月18日
  • 盆施餓鬼会 - 8月2日
  • 三好稲荷閣夏季大祭 - 8月20日ごろの日曜日
  • 秋彼岸会 - 秋分の日
  • 動物慰霊祭 - 10月中旬
  • 三好稲荷閣七五三祈祷 - 11月上旬-中旬
  • 流祖西山忌会 - 11月下旬
  • 除夜法要 - 12月31日

文化財

[編集]
三好稲荷閣夏季大祭(大提灯まつり)で奉納される大提灯(2016年8月)

みよし市指定無形民俗文化財

  • 三好稲荷閣夏季大祭奉納行事(大提灯まつり)[4]
夏季大祭では、高さ11メートル・直径6.5メートル、重さ1,250キログラムの御所型提灯3張を組み立てて奉納する。当日は多数の露店が並び、境内では地元に伝わる棒の手祭囃子の奉納が行われ、夜には打上花火もある。
提灯の奉納自体は江戸時代後期から行なわれていたが、当時は普通の大きさだった。昭和2年(1927年)、『新愛知』(現在の中日新聞の前身のひとつ)が企画した「愛知県下新十名所」の第2位に三好稲荷閣が選出され、それをきっかけに地元の有志が高さ10.6メートル、直径6メートル、重さ1,250キログラムの岐阜提灯1張(当時「日本一の大提灯」と称された)を同4年(1929年)に奉納したことで、「大提灯まつり」と呼ばれるようになった。昭和18年(1943年)5月の本殿焼失により中断するが、同26年(1951年)に復活[5]。その後、前記の大提灯が昭和63年(1988年)に1張、平成5年(1993年)に2張奉納されている[6][注釈 3]
なお平成29年(2017年)8月に、大提灯のうち1張が「世界最大の吊り提灯」としてギネス世界記録に認定されている[7][8]

住所

[編集]

愛知県みよし市三好町蜂ヶ池5

アクセス

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『三好町誌』第1巻では、永享4年(1432年)としている(p.385)。
  2. ^ リンク先のページは「枳尼天」の表記だが、本項目では満福寺での表記に合わせる。
  3. ^ オリジナルの大提灯は昭和48年(1973年)に紙が張り替えられたが、破損が著しくなったため、新しい大提灯の奉納と入れ替わりで使われなくなった。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 満福寺・三好稲荷参拝のしおり
  2. ^ 三好町誌 第3巻 1998, p. 561.
  3. ^ 三好町誌 第1巻 1978, p. 385.
  4. ^ みよし市/文化財・伝統芸能”. みよし市 (2016年7月28日). 2016年9月19日閲覧。
  5. ^ 新編三好町誌 別編 2007, p. 92.
  6. ^ みよしの民俗 2011, p. 368.
  7. ^ 愛知県みよし市で最大の吊り提灯 : ギネス世界記録”. Guinness World Records 日本公式サイト (2017年8月28日). 2017年11月14日閲覧。
  8. ^ 三好大提灯まつりの大提灯が「ギネス世界記録™町おこしニッポン」最大の吊り下げ提灯に認定されました”. みよし市 (2017年9月8日). 2017年11月14日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 境内説明板
  • 「満福寺・三好稲荷参拝のしおり」(リーフレット)
  • 三好町誌編纂委員会編 編『三好町誌』 第1巻、三好町誌編纂委員会、1978年。 
  • 三好町誌編さん委員会編 編『三好町誌』 第3巻、三好町、1998年。 
  • 三好町誌編さん委員会編 編『新編三好町誌』 別編、愛知県三好町、2007年。 
  • 三好町誌編集委員会民俗部会編 編『みよしの民俗 新編三好町誌民俗調査報告書』みよし市、2011年。 

外部リンク

[編集]