満福寺 (みよし市)
満福寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県みよし市三好町蜂ヶ池5 |
位置 | 北緯35度5分13.16秒 東経137度4分29.28秒 / 北緯35.0869889度 東経137.0748000度座標: 北緯35度5分13.16秒 東経137度4分29.28秒 / 北緯35.0869889度 東経137.0748000度 |
山号 | 東北山円蓮院(古称:石塔山) |
宗旨 | 浄土宗 |
宗派 | 西山深草派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | (伝)天元5年(982年) |
開基 | (伝)大江定基 |
中興年 | 享禄4年(1531年) |
中興 | 光空見桐 |
文化財 | 三好稲荷閣夏季大祭奉納行事(みよし市指定無形民俗文化財) |
公式サイト | 三好稲荷・満福寺 |
法人番号 | 6180305005992 |
満福寺(まんぷくじ)は、愛知県みよし市にある浄土宗の寺院である。
歴史
[編集]奈良時代に、行基が救世観音を祀ったことが淵源とされる[1] 。
天元5年(982年)には、大江定基によって延暦寺の支院・大乗寺として開基・建立される[1]。近隣の山地一体を寺領として隆盛を誇ったとされるが、その後衰微する。
享禄4年(1531年)、大乗寺の跡地とされる場所(現在地)に光空見桐が念仏道場を建てて再興[2][注釈 1]。この時に浄土宗西山派の寺とし、山号・寺号を石塔山満福寺と改めた。
寛文6年(1666年)には勅願所の綸旨を受け、山号を現在の東北山と改称[3]。文久元年(1861年)には鎮守として吒枳尼天[注釈 2]が境内に遷座し、三好稲荷閣として整備された(後述)。
昭和18年(1943年)5月、火災によって三好稲荷閣を含む堂宇・古文書を失った。現在の境内は、昭和45年(1970年)の現本堂再建以降、復興・整備されたものである。
境内
[編集]- 山門 - 昭和57年(1982年)再建。2階が鐘楼となっている。
- 手水舎 - 昭和57年(1982年)再建。
- 本堂 - 昭和45年(1970年)再建。本尊の阿弥陀仏座像は定朝様で、萬寿2年(1025年)の開眼と伝えられる[1]。
- 観音堂 - 昭和60年(1985年)再建。観世音菩薩を安置する。
- 秋葉堂 - 平成15年(2003年)建立。秋葉三尺坊権現を祀る。
- 動物慰霊塔 - 昭和60年(1985年)建立。
- 満福寺会館
- 書院
- 茶室
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山門(2016年8月)
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手水舎(2016年8月)
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観音堂(2016年8月)
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秋葉堂(2016年8月)
右側に並ぶ鳥居は、三好稲荷閣奥の院へ続く
三好稲荷閣
[編集]境内西には寺の鎮守として吒枳尼天を祀る「三好稲荷閣」の本殿が建ち、その後方に並ぶ鳥居を進むと奥の院がある。
享保17年(1732年)、地元の庄屋・久野太郎右衛門が古くから近郊で祀られていた稲荷の祠3か所を合祀し、「三好稲荷」として陣取山(現・みよし市三好町陣取山)に遷した。文久元年(1861年)に、西大平藩主・大岡家の帰依を得て、満福寺の境内に遷座し堂宇が建立されると、西三河から尾張・美濃にかけて幅広い信仰を受けるようになった。
上述のとおり、昭和18年(1943年)5月の火災で本殿が焼失。仮堂での奉祀を経て、昭和57年(1982年)に現本殿が竣工した。
行事
[編集]- 新年修正会、三好稲荷閣新年祭・初祈祷 - 1月1日
- 三好稲荷閣進学就職祈祷 - 1月第3土曜日
- 三好稲荷閣初午大祭 - 旧暦2月初午日ごろの日曜日
- 宗祖法然上人御忌会 - 2月下旬
- 春彼岸会 - 春分の日
- 派祖深草忌会 - 4月18日
- 盆施餓鬼会 - 8月2日
- 三好稲荷閣夏季大祭 - 8月20日ごろの日曜日
- 秋彼岸会 - 秋分の日
- 動物慰霊祭 - 10月中旬
- 三好稲荷閣七五三祈祷 - 11月上旬-中旬
- 流祖西山忌会 - 11月下旬
- 除夜法要 - 12月31日
文化財
[編集]みよし市指定無形民俗文化財
- 三好稲荷閣夏季大祭奉納行事(大提灯まつり)[4]
- 夏季大祭では、高さ11メートル・直径6.5メートル、重さ1,250キログラムの御所型提灯3張を組み立てて奉納する。当日は多数の露店が並び、境内では地元に伝わる棒の手や祭囃子の奉納が行われ、夜には打上花火もある。
- 提灯の奉納自体は江戸時代後期から行なわれていたが、当時は普通の大きさだった。昭和2年(1927年)、『新愛知』(現在の中日新聞の前身のひとつ)が企画した「愛知県下新十名所」の第2位に三好稲荷閣が選出され、それをきっかけに地元の有志が高さ10.6メートル、直径6メートル、重さ1,250キログラムの岐阜提灯1張(当時「日本一の大提灯」と称された)を同4年(1929年)に奉納したことで、「大提灯まつり」と呼ばれるようになった。昭和18年(1943年)5月の本殿焼失により中断するが、同26年(1951年)に復活[5]。その後、前記の大提灯が昭和63年(1988年)に1張、平成5年(1993年)に2張奉納されている[6][注釈 3]。
住所
[編集]愛知県みよし市三好町蜂ヶ池5
アクセス
[編集]注釈
[編集]- ^ 『三好町誌』第1巻では、永享4年(1432年)としている(p.385)。
- ^ リンク先のページは「荼枳尼天」の表記だが、本項目では満福寺での表記に合わせる。
- ^ オリジナルの大提灯は昭和48年(1973年)に紙が張り替えられたが、破損が著しくなったため、新しい大提灯の奉納と入れ替わりで使われなくなった。
出典
[編集]- ^ a b c 満福寺・三好稲荷参拝のしおり
- ^ 三好町誌 第3巻 1998, p. 561.
- ^ 三好町誌 第1巻 1978, p. 385.
- ^ “みよし市/文化財・伝統芸能”. みよし市 (2016年7月28日). 2016年9月19日閲覧。
- ^ 新編三好町誌 別編 2007, p. 92.
- ^ みよしの民俗 2011, p. 368.
- ^ “愛知県みよし市で最大の吊り提灯 : ギネス世界記録”. Guinness World Records 日本公式サイト (2017年8月28日). 2017年11月14日閲覧。
- ^ “三好大提灯まつりの大提灯が「ギネス世界記録™町おこしニッポン」最大の吊り下げ提灯に認定されました”. みよし市 (2017年9月8日). 2017年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 境内説明板
- 「満福寺・三好稲荷参拝のしおり」(リーフレット)
- 三好町誌編纂委員会編 編『三好町誌』 第1巻、三好町誌編纂委員会、1978年。
- 三好町誌編さん委員会編 編『三好町誌』 第3巻、三好町、1998年。
- 三好町誌編さん委員会編 編『新編三好町誌』 別編、愛知県三好町、2007年。
- 三好町誌編集委員会民俗部会編 編『みよしの民俗 新編三好町誌民俗調査報告書』みよし市、2011年。