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三宅勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三宅 勉(みやけ つとむ、1880年1月12日[1] - 1972年5月3日[2])は日本の植物学者、植物病理学者である。宮部金吾とともに『樺太植物史』(1915年)を出版し、1910年から1940年の間は台湾総督府で植物病理学者として働いた。

東京府出身[1]札幌農学校で宮部金吾のもとで学んだ。1904年に卒業後、樺太庁の嘱託となり、樺太の植物を調査し、『樺太植物概報』(1907年)、『樺太植物史』(1915年)を執筆した。トウヒレン属Saussurea nupuripoensisイチリンソウ属Anemone sachalinensis(和名、エゾノハクサンイチゲ)などを宮部とともに記載した。1910年から台湾総督府の技師として働き、糖業試験場、蔗苗養成所などで働き、中央研究所の植物病理科長などを務めた。サトウキビの病害の調査、バナナ・パイナップル・蜜柑などの果樹病害の研究を行った。

論文

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  • 三宅勉「樺太森林植物の分布に就きて」『札幌博物学会会報』第2号、札幌博物學會、1908年8月、93-102頁、NAID 120005712509 
  • 平塚直秀、島袋俊一「琉球諸島産銹菌類に関する研究」『琉球大学農学部学術報告』第1号、琉球大学農学部、1954年4月、1-56頁、NAID 120003239594 

脚注

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  1. ^ a b 『台湾人士鑑 改訂』台湾新民報社、1937年、p.351。
  2. ^ 榕畔会校史編集委員会 編『榕畔会史 : 台湾における高等農林教育のあゆみ』榕畔会、1978年、p.155。

参考文献

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