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三宅神社 (亀岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三宅神社

鳥居
所在地 京都府亀岡市三宅町121
位置 北緯35度00分30.74秒 東経135度35分21.17秒 / 北緯35.0085389度 東経135.5892139度 / 35.0085389; 135.5892139 (三宅神社)座標: 北緯35度00分30.74秒 東経135度35分21.17秒 / 北緯35.0085389度 東経135.5892139度 / 35.0085389; 135.5892139 (三宅神社)
主祭神 倉稲魂命
稚産霊命
豊保食命
社格 式内社(小)
村社
創建 不詳
別名 三宅稲荷・叢稲荷・草分稲荷
例祭 7月15日[1]
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三宅神社(みやけじんじゃ)は、京都府亀岡市三宅町にある神社式内社旧社格村社

別称として「三宅稲荷」と称され、かつては「叢稲荷」「草分稲荷」とも称した。

祭神

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3柱はいずれも穀物に関する神である。

歴史

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境内
中央に本殿、左端に舞殿、右端に豊受大神。

創建は不詳。当地に屯倉(みやけ:朝廷の直轄地)が設けられたことによるとされる。当地との関係は不明ながら、『日本書紀』には安閑天皇2年(535年?)に丹波国に「蘇斯岐(そしき)」の屯倉が置かれたという記載もある[3]。また、古くは郡の役所である郡家(郡衙)を「こおりのみやけ」と読んだこと、一帯は広い平坦面を有していること、屯倉の存在を物語る当社があることなどから、当地周辺に桑田郡の郡家があり中心地であったとする説もある[4][5]。付近からは祭祀に使用するための土器を作ったと思われる多数の窯跡が見つかっている[6]

平安時代中期の『延喜式神名帳では丹波国桑田郡に「三宅神社」と記載され、式内社に列している。

古くは1町四方にもなる広大な社地を有していたと伝えられるが、天正の兵火や寛文3年(1663年)等の火災により縮小した。現在の社は延宝元年(1673年)の再建で、元禄11年(1698年)に上屋が設けられた。

明治6年に近代社格制度において村社に、明治40年に指定村社となった[1]

摂末社

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  • 豊受大神
  • 稲荷社

現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ a b 三宅神社(延喜式神社の調査<個人サイト>)。
  2. ^ 祭神は境内説明板より。
  3. ^ 『日本書紀』安閑天皇二年五月条「五月丙午朔甲寅、置(中略)丹波國蘇斯岐屯倉。」(日本書紀 巻第十八 安閑天皇紀[日本書紀全文検索]より)。
  4. ^ 境内説明板より。
  5. ^ 『京都府の地名』三宅村項、三宅神社項。
  6. ^ 三宅神社(丹波の神社<個人サイト>)。

参考文献

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  • 境内説明板
  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社)亀岡市 三宅神社項