三島名継
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時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 天平20年(748年) |
死没 | 大同5年4月11日(810年5月17日) |
別名 | 奈継 |
官位 | 正四位下・左京大夫 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 三島真人 |
三島 名継(みしま の なつぐ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。名は奈継とも記される。姓は真人。舒明天皇の皇子・蚊屋皇子の後裔[1]。官位は正四位下・左京大夫。
経歴
[編集]延暦2年(783年)従五位下に叙爵すると、延暦3年(784年)長岡宮造営の功労により従五位上と桓武朝初頭に続けて昇叙され、延暦4年(785年)内厩頭に任ぜられる。
延暦15年(796年)までに従四位下に昇り、同年12月左衛士督に任ぜられるが、早くも延暦16年(797年)正月には大和守として地方官に転じる。
その後、中務大輔に任ぜられて京官に復す。延暦23年(804年)2月に衛門督に任官すると、10月には桓武天皇の和泉・摂津両国の行幸に奉仕したことにより正四位下に叙せられている。桓武朝末の延暦25年(806年)越前守に任ぜられて再び地方官に転じるが、平城朝では左京大夫や摂津守を務めている。
大同5年(810年)4月11日卒去。享年63。最終官位は左京大夫兼摂津守正四位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦2年(783年) 正月20日:従五位下
- 延暦3年(784年) 12月2日:従五位上
- 延暦4年(785年) 正月15日:内厩頭兼山城介
- 延暦5年(786年) 2月17日:兼山城守
- 延暦9年(790年) 6月26日:兼美作守
- 時期不詳:従四位下
- 延暦15年(796年) 12月4日:左衛士督
- 延暦16年(797年) 正月13日:大和守
- 時期不詳:従四位上、中務大輔
- 延暦23年(804年) 2月1日:衛門督。10月10日:正四位下
- 延暦25年(806年) 正月28日:越前守
- 時期不詳:左京大夫、摂津守
- 大同5年(810年) 4月11日:卒去(左京大夫兼摂津守正四位下)