三条実長
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 大治3年(1128年) |
死没 | 寿永元年12月27日(1183年1月22日) |
別名 | 三条 |
官位 | 正二位、皇后宮大夫 |
主君 | 崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条公行、母:源顕親の娘 |
兄弟 | 実長、行雅、実海、実慶、実豪、尊実 |
子 | 公俊 |
三条 実長(さんじょう さねなが)は、平安時代後期の公卿。参議・三条公行の長男。官位は正二位・皇后宮大夫。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 保延2年(1136年)1月6日、叙爵[1]。
- 永治元年(1141年)12月26日、従五位上。
- 康治3年(1144年)1月24日、右兵衛佐。
- 天養2年(1145年)1月4日、正五位下に昇叙[2]。
- 久安2年(1146年)1月22日、備中権介を兼ねる。同月26日、左少将。
- 久安3年(1147年)1月5日、従四位下。
- 久安5年(1149年)10月11日、従四位上[3]。
- 久安6年(1150年)1月20日、正四位下[4]。
- 仁平元年(1151年)2月2日、備前権介を兼ねる。同年7月24日、右近衛権少将。
- 仁平4年(1154年)8月18日、左少将に転任。
- 久寿3年(1156年)4月6日、右近衛権中将に転任。
- 保元元年(1156年)9月13日、蔵人頭。同年11月28日、参議。右中将は元の如し。
- 保元2年(1157年)1月24日、讃岐権守を兼ねる。同年10月22日、従三位。
- 保元3年(1158年)11月26日、正三位。
- 永暦元年(1160年)1月21日、権中納言。3月2日、勅授帯剣。
- 永暦2年(1161年)8月17日、中宮権大夫を兼ねる。同年9月13日、中納言。中宮権大夫は元の如し。
- 応保2年(1162年)2月5日、権大夫を止める。同月19日、中宮権大夫に改めて任ぜられる。同月23日、従二位。同年7月28日、祖父・実行の喪に服す。9月13日、復任。
- 長寛2年(1164年)閏10月23日、権大納言。11月25日、中宮大夫。
- 永万2年(1166年)7月15日、権大納言を辞退。中宮大夫は元の如し。
- 仁安2年(1167年)閏7月19日、本座。
- 仁安3年(1168年)1月6日、正二位。
- 承安2年(1172年)2月10日、皇后宮大夫。
- 承安3年(1173年)8月15日、皇后宮大夫を止める[5]。
- 寿永元年(1182年)10月11日、所労により出家。同年12月27日、薨去。