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三枝規悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三枝 規悦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県田方郡韮山町
生年月日 (1952-07-21) 1952年7月21日(72歳)
身長
体重
176 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1976年 ドラフト外
初出場 1977年8月7日
最終出場 1980年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

三枝 規悦(さえぐさ のりえつ、1952年7月21日 - )は、静岡県田方郡韮山町[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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日大三島高では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝で、静岡高に延長14回敗退。社会人野球の金指造船、大昭和製紙を経て、1976年オフにドラフト外阪急ブレーブスに入団[1]

1年目の1977年は、9試合を投げて1勝を挙げる。1978年は主に中継ぎで24試合を投げ、4勝2敗の成績だった。6月24日ロッテとの対戦では12安打5失点を喫するが、9回に簑田浩二が逆転サヨナラ2点本塁打、初完投勝利を記録した。この年にチームは4年連続でリーグ優勝し、日本シリーズに出場。第2戦では4回に長池徳二の代走に入り、そのまま今井雄太郎をリリーフ、日本シリーズで初登板を果たすがヤクルト角富士夫に本塁打を打たれる。1979年も4勝を挙げるが、防御率は5.21だった。

1980年松本幸行とのトレード中日ドラゴンズへ移籍[1]。中日では松本の背番号21を受け継ぐが、移籍1年目に8試合登板しただけで1981年からは1軍で登板できず、1982年限りで現役を引退した[1]スライダーシュートを武器とした。

引退後は、阪急へ戻り打撃投手を務めた。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1977 阪急 9 2 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 110 26.1 31 6 6 0 0 8 0 0 16 13 4.50 1.41
1978 24 2 1 0 0 4 2 0 -- .667 322 78.2 81 8 15 1 3 26 1 0 32 29 3.30 1.22
1979 16 5 2 0 0 4 1 0 -- .800 251 57.1 67 15 12 1 3 23 0 0 35 33 5.21 1.38
1980 中日 8 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 72 16.0 16 6 6 0 1 9 0 0 10 7 3.94 1.38
通算:4年 57 9 3 0 0 9 5 0 -- .643 755 178.1 195 35 39 2 7 66 1 0 93 82 4.15 1.31

記録

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  • 初登板:1977年8月7日、対近鉄バファローズ後期6回戦(阪急西宮球場)、3回表1死から番手で救援登板、3回2/3を2失点(自責点1)
  • 初先発登板:1977年8月16日、対クラウンライターライオンズ後期4回戦(平和台球場)、3回1/3を3失点(自責点2)で勝敗つかず
  • 初勝利:1977年9月14日、対クラウンライターライオンズ後期8回戦(阪急西宮球場)、2回1死から2番手で救援登板、3回2/3を1失点
  • 初先発勝利・初完投勝利:1978年6月24日、対ロッテオリオンズ前期12回戦(阪急西宮球場)、9回5失点

背番号

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  • 43 (1977年 - 1979年)
  • 21 (1980年 - 1982年)
  • 86 (1983年 - 1988年)
  • 101 (1989年 - 1999年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、239ページ

関連項目

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外部リンク

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