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三浦巖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三浦 巖(みうら いわお 1917年2月13日 - 1982年1月30日)は日本の画家水彩画家。東京帝国大学文学部卒業という異色の経歴を持ち、短い期間ではあるがフランスでも活動した。

経歴

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1917年(大正6年)大阪府大阪市に生まれる。1941年(昭和16年)東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業[1]。同年同大学院へ進学した。1942年(昭和17年)頃から本郷絵画研究所に学び、1949年(昭和24年)第37回日本水彩展においてみずゑ賞を受賞、日本水彩画会会員となった。

1964年(昭和39年)から一年間パリに滞在。1970年(昭和45年)「薬師寺の塔」がル・サロン(フランス芸術家協会サロン展)で銀賞を受け、翌1971年(昭和46年)「パリ風景」が金賞を受賞、以後ル・サロンにおいて無鑑査となる。1982年(昭和57年)1月30日、食道ガンのため東京都港区三田の済生会中央病院で死去[2]

著作

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  • 『絵になる時』七曜社 1963年
  • 『大空画室』美術出版社 1968年
  • 『水彩画法十二ケ月』渓水社 1980年

脚注

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  1. ^ 三浦巖『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1007 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 「三浦巖」『日本美術年鑑』p265 1983年