三浦義建
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三浦 義建(みうら よしたつ、1840年(天保11年7月[1][2])- 1890年(明治23年)10月2日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]もと備後福山藩士[1]。誠之館に学ぶ[2]。長州征討に従軍[1][2]。戊辰戦争では福山を戦火から守った[3]。福山藩および福山県大参事を経て[2]、1881年(明治14年)深津郡より選ばれて広島県会議員となる[4]。翌年の1882年(明治15年)1月、神石郡長に転じ、同3月、芦田・品治・神石郡長・甲奴郡長に任じた[4]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第9区から出馬し当選するが、在任中に死去した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。